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ディック・マークス(、1924年4月12日 – 1997年8月12日)は、アメリカのジャズ・ピアニスト、アレンジャー。映画音楽やテレビ音楽、コマーシャルソングも手がけた。妻ルース・マークスとの間に、息子でシンガー・ソングライターのリチャード・マークスがいる 。前妻との間にも二人の姉妹(ナンシー、ジュディ)と息子(ジム)を儲けている〔 〕。 == 経歴 == 幼少よりピアノを演奏し、シカゴのナイト・クラブでの演奏からプロとしてのキャリアスタートさせた。1950年代にヘレン・メリルと組み、自分名義のアルバムを数枚リリースしている。1960年代にはやケネル・レーションやダブルミント、ケロッグレーズンブラン、ダイアルソープ、ネスレクランチ、アームアンドハンマーなどの有名ブランドの広告用ジングルを制作した。1968年、シカゴ・ブラックホークスの応援歌、「ヒア・カム・ザ・ホークス」を作曲。この応援歌は現在も使われており、ブラックホークスファンに定着している。 1975年にシカゴの放送局「WBBM-TV」のニュース番組に、古いフォークソング「アイ・ラブ・シカゴ、シカゴ・マイ・ホーム」を基に作曲したテーマソングを提供した。テーマソングは「WBBM-TV」が高視聴率をマークしていた1970年代から1980年代前半にかけて人気を博し、他のCBS傘下の放送局も早速このテーマソングを使うようになった。 1986年にロサンゼルスに住まいを移し、映画『プリティ・リーグ』や『エドワーズ・アンド・ハント』、テレビ番組「ファッジ」などの音楽を手がけた。そのほかジョー・コッカーやYOSHIKI、息子のリチャード・マークスなどのポップス・ミュージシャンのアレンジも手がけていた。 1997年のラスベガスで自動車事故に遭い負傷。イリノイ州ハイランドパークで程なく亡くなった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ディック・マークス」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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