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ディック東郷 : ウィキペディア日本語版
ディック東郷[でぃっくとうごう]

ディック東郷(ディックとうごう、本名:佐藤茂樹(さとう しげき)、1969年8月17日 - )は、日本の元プロレスラー秋田県大館市出身。「マスター・オブ・セントーン」の異名をもつ。「D・東郷」と表記されることもある。
2011年6月末で日本国内でのプロレス活動を引退。
その後は世界を廻りながらプロレスを続け、2012年9月9日に尊敬するチェ・ゲバラの最後の地ボリビアにて引退した。
== 経歴 ==

*秋田県立十和田高等学校在学中は野球部に所属。卒業後FMWの練習生を経てユニバーサル・プロレスリングに入門。
*1991年6月5日、巌鉄魁(がんてつ・さきがけ。入場時にはなまはげの仮面を着用)というリングネームでMASAみちのくを相手にデビューする。メキシコ遠征後、サスケが旗揚げしたみちのくプロレスに参戦する。
*マスクマンレスラー、SATO(サトー)として活動するも、スペル・デルフィンとのマスカラ・コントラ・マスカラ(敗者覆面剥ぎマッチ)に敗れてマスクを脱ぐ。
*獅龍テリーボーイと「平成海援隊」を結成。負傷欠場からの復帰に際しディック東郷に改名する。「夢狩人」のタッグチーム名で活躍していた船木勝一TAKAみちのくが合流し、グループ名を「海援隊★DX」に改名。
*1998年、TAKAを追ってWWF(現WWE)に移籍し「KAIENTAI」として活動するが会社とそりが合わず、翌年退団。
*帰国後、大阪プロレスに電撃参戦し、ルードとして活躍。しかしデルフィンとの確執から2000年に離脱。その後フリーとして活動。
*2004年8月まで、みちのくプロレスにヒールユニットFEC(ファー・イースト・コネクション)を率いて参戦。
*その後はやて小坪弘良らとプロレス学校「SUPER CREW」を立ち上げ、(2006年12月解散)、DDTプロレスリングを中心として活動。
*また、仲の良いTAKAが率いているKAIENTAI-DOJOにも参戦しているが、生涯一ヒールを自認しているため、ヒールユニットの勤王党と共闘し、TAKAと対立する。その一方で、古巣のみちのくプロレスで、これまで敵対していたサスケと東北タッグ王座に就いたりもする。また新日本プロレスに参戦しC.T.Uとブラック・ニュー・ジャパンと共闘した。
*2010年3月11日には自身ブログにて入籍を報告。
*2010年4月9日に記者会見を開き、2011年6月をもって日本でのプロレス活動を引退し、それまでの1年強はDDT所属レスラーとして試合を行うこと、また2011年6月から1年間は日本国外でプロレスを行い、最終的にボリビアで引退試合を行うことを発表した。
*2010年10月、プロレスリング・ノア日テレ杯争奪ジュニアヘビー級タッグリーグ戦に、DDTプロレスリング代表チームとしてヤス・ウラノとともに参加、同団体初参戦を果たした。
*11月28日、佐藤光留の持っていたDDTのKO-D無差別級選手権に挑戦し、これを奪取する。その後負傷欠場により一時返上するも、復帰後暫定王者となっていた師弟関係にあり、引退前にシングルでの対決を誓い合っていたアントーニオ本多との統一戦に勝利し再び戴冠、以降HARASHIMA飯伏幸太の挑戦を退け防衛している。
*2011年5月、KO-D無差別級選手権、石川修司戦にて敗戦。
*2011年6月30日、引退興行「IKIZAMA」を開催し、ユニバーサル・プロレスリング時代からの先輩である外道とのシングルマッチに勝利し、国内での活動を引退。8月に入り世界ツアーへと旅立ち、オーストラリア、ヨーロッパ、アメリカ、中南米と渡り歩き2012年6月21日最終目的地であるボリビアに到着。
*2012年7月、弟子である佐藤悠己が、アイアンマンヘビーメタル級王座を持ってボリビアを訪れ、王座を2度獲得(923代・927代)。この927代アイアンマン王座が最後のタイトルになった。
*2012年9月9日、13ヵ月に及ぶワールドツアーを終えボリビアにて引退。日本からヤス・ウラノ、アントーニオ本多、佐々木大輔、ワールドツアー内で指導した各国のレスラーなどがかけつけた。また、日本から多くのファンもかけつけた。
*2012年10月21日、引退後初の公の場としてDDT後楽園大会に来場。日本インディー大賞2011ベストバウト賞の表彰式が行われ、開会宣言も担当した。
*2014年3月9日DDTのプロレス教室に登場。今後はベトナムに移住してスポーツジムのマネージメントをしつつ、プロレスの普及をしていくとのこと。
*2015年5月ベトナムのダナンにプロレススクールを開講。ベトナムのTV局のサポートの元でベトナム初のプロレス団体「NVP」も設立して代表は吉田充宏が就任。また吉田は所属選手にもなる予定。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ディック東郷」の詳細全文を読む



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