|
ディビッドソン 純 マーカス(でぃびっどそん じゅん まーかす、DAVIDSON Jun Marques, 1983年6月7日 - )は、東京都出身のプロサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー(ディフェンシブハーフ)。 ==来歴== 父親がアメリカ人〔TOKUSHIMA VORTIS 2011 VOICE Vol.32 徳島ヴォルティス〕、母親が日本人のハーフ。小学3年生時にサッカーを始め〔 Jリーグ選手協会 (2008年10月24日)〕、東京ガス(後のFC東京)の下部組織に加入。柴田峡らの指導により力を付けた。同期には尾亦弘友希、石川高大、来栖由基ら。高校生時には父の故郷であるアメリカのサッカースクールに渡り、多国籍の環境下でプレーすることで精神的にも鍛えられた。同スクールの監督がJリーグ・大宮アルディージャのピム・ファーベーク監督と知己だったことから大宮での練習に参加する機会を得て、2002年8月より正式加入〔 大宮アルディージャ (2002年8月9日)〕。加入当初は出場機会に恵まれなかったが、2004年より監督に就いた三浦俊也によってレギュラーに抜擢された。 2007年、アルビレックス新潟へ完全移籍〔 大宮アルディージャ (2007年1月6日)〕〔 アルビレックス新潟 (2007年1月6日)〕。しかしレギュラー定着は叶わず、ヴィッセル神戸〔ディビッドソン 純マーカス 選手 ヴィッセル神戸に期限付き移籍のお知らせ アルビレックス新潟 (2007年7月16日)〕〔 ヴィッセル神戸 (2007年7月16日)〕、コンサドーレ札幌〔 ヴィッセル神戸 (2008年1月11日)〕〔ディビッドソン 純マーカス 選手 コンサドーレ札幌に期限付き移籍のお知らせ アルビレックス新潟 (2008年1月11日)〕〔アルビレックス新潟 ディビットソン純マーカス選手 2008年新加入決定のお知らせ コンサドーレ札幌 (2008年1月11日)〕、新潟復帰〔ディビッドソン 純マーカス 選手 復帰のお知らせ アルビレックス新潟 (2009年1月14日)〕と移籍を繰り返した。札幌では再び三浦の下でプレー。 2010年、マーティン・レニーが率いるUSSF・カロライナ・レイルホークスへ移籍〔ディビッドソン 純マーカス アメリカ独立リーグ・ノースカロライナ レイルホークスに移籍のお知らせ アルビレックス新潟 (2010年4月5日)〕。 2011年、Jリーグへの復帰を選び、J2・徳島ヴォルティスに練習生として参加。2月末になって正式加入が発表された〔ディビッドソン 純マーカス選手 完全移籍にて加入決定のお知らせ 徳島ヴォルティス (2011年2月26日)〕。J1昇格圏内入りには僅かに届かず、1年限りで退団。 日本国内のクラブからも誘いを受けていたが、レニーに請われ〔MLSバンクーバー・ホワイトキャップスMF 純・マーカス・ディビッドソン選手インタビュー バンクーバー新報 (2012年5月18日)〕〔Whitecaps FC add midfielder Jun Marques Davidson to MLS roster バンクーバー・ホワイトキャップス (2012年1月19日)〕、2012年よりMLS・バンクーバー・ホワイトキャップスへ移籍〔ディビッドソン 純マーカス選手 バンクーバー・ホワイトキャップスFC(MLS)への完全移籍のお知らせ 徳島ヴォルティス (2012年1月20日)〕。 2014年、カロライナ・レイルホークスへ復帰〔Midfielder Jun Marques Davidson Returns To RailHawks 北米サッカーリーグ (2014年3月19日)〕。主将を務めた〔Commemorative Jersey Auction LIVE NOW! カロライナ・レイルホークス (2014年10月18日)〕。 2015年、タイ・プレミアリーグ・サイアム・ネイビーFCへ移籍〔สโมสรฟุตบอลราชนาวี (2015年1月15日)〕。 2016年、シャーロット・インデペンデスへ移籍〔Veteran Midfielder Jun Marques Davidson Signs With Independence シャーロット・インデペンデンス (2016年3月16日)〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ディビッドソン純マーカス」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|