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ディミトリオス・ロウンドラス : ウィキペディア日本語版 | ディミトリオス・ロウンドラス
ディミトリオス・ロウンドラス(Dimitrios Loundras、、1885年9月4日 - 1971年2月15日)は、ギリシャの元体操選手である〔没年については、1970年説もある。〕。彼は、1896年に開催されたアテネオリンピックの体操競技平行棒団体で銅メダルを獲得した〔1896年のアテネオリンピックでは、3位の選手にはメダルではなく賞状が授与されていたが、獲得メダルの表示及び本文の表現は便宜上第2回以降と同様のものを用いている。〕。 == 経歴 == ロウンドラスは、アテネオリンピックで実施された体操競技のうち、平行棒団体競技に所属クラブEthnikos GS (:en:Ethnikos Gymnastikos Syllogos)代表チームの一員として出場した。チームは3位に入り、銅メダルを獲得することとなった〔1896 Summer Olympics Athens, Greece Gymnastics 〕〔Gymnastics at the 1896 Athina Summer Games:Men's Parallel Bars, Teams 〕〔平行棒団体競技は、ドイツから1チーム、開催国ギリシャからクラブチーム2チームのあわせて3チームのみが出場し、選手は3チーム合計で63名だった。ロウンドラスの所属するEthnikos GSからは彼を含めて19名の選手が出場したが、氏名が判明しているのはロウンドラスを含めて4名のみである。〕。 アテネオリンピック出場当時のロウンドラスの年齢は10歳と218日であり、これは近代オリンピック史上で最年少のメダリスト及び最年少での参加記録とみなされている〔1900年に開催されたパリオリンピックのボート競技舵手付きペア競技で、オランダのチームの舵手(コックス)の体重が重過ぎたためにチームから外された。オランダのチームは、たまたま観客席にいた7歳から10歳ぐらいと見られるフランス人の男の子を舵手の代役として出場させ、優勝したため、この男の子が史上最年少のオリンピックメダリストではないかという説がある。しかし、この男の子は競技終了後、身元確認を受けることなく会場から姿を消してしまい、この男の子の正確な年齢はおろか名前さえも一切不明のままである。〕。 ロウンドラスはその後、1905年に海軍士官学校を卒業してギリシャ軍に入隊した。バルカン戦争及び2度の世界大戦を戦い抜いて海軍大将にまで昇進し、1971年に没した。なお、彼は1924年から1932年の間と1949年から1960年の間の2回にわたって、ギリシャオリンピック委員会のメンバーを務めている。
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