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ディヴァン・ジャポネ : ウィキペディア日本語版
ル・ディヴァン・デュ・モンド

ル・ディヴァン・デュ・モンド(Le Divan du Monde)は、フランスパリ市18区ピガール(Pigalle)地区マルティール通り(Rue des Martyrs)75番地にある、劇場を改装したコンサート・スペース。Divan とは、ソファに似た東洋風の長椅子のことで、Le Divan du Monde は「世界の長椅子」ないし「世界の会議」といった意味になる。
== 歴史 ==
19世紀初頭、この場所には、ラ・ミュゼット・ド・サン=フルール(la Musette de Saint-Flour)という舞踏室があった。1861年、改装されてラ・ブラッセリー・デ・マルティール(la Brasserie des Martyrs)となり、シャルル・ボードレールジュール・ヴァレ(Jules Vallès)らが通う店となった〔''Dictionnaire historique de rues de Paris''〕。1873年には、カフェ・コンセール(café-concert)に変わり、オーナーのテオフィル・ルフォールによって、ル・ディヴァン・ジャポネ(le Divan Japonais)と名付けられ、内装も日本風に飾られた。後に店を受け継いだジュール・サラザン(Jules Sarrazin)は、地下にもうひとつ部屋を設け「善きユーモアの殿堂(Temple de la Bonne Humeur)」 と名付けた。
キャバレー歌手イヴェット・ギルベールは、1891年にここに出演して有名になり、ドラネム(Dranem)もここによく出演していた。1894年には、無言劇『''Le Coucher de la Mariée''』(「花嫁の眠り」の意)が上演されたが、これは初めて「裸」の女性(透けるほど薄いブラウスを着ていた)が舞台に登場したとして観衆の間に騒ぎを巻き起こした〔Jacques Charles, ''Le caf'-conc''〕。アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレックアドルフ・レオン・ウィレット(Adolphe Léon Willette)、後にはパブロ・ピカソなども足しげく通った。
1901年には、テアトル・ド・ラ・コメディ・モンディーン (Théâtre de la Comédie Mondaine)に変わったが、後にはさらに、エロティックなショーの劇場に変わった〔André Sallée et Philippe Chauveau, ''Music-Hall et café-concert'', Paris, Bordas, 1985.〕。
1994年に、ル・ディヴァン・デュ・モンドとして再オープンし、特にワールドミュージックのコンサート会場として知られるようになった。2009年11月に、全面的な改装が行われ、以降は、コンサートからクラブ・イベントまで様々な行事が行われるようになっている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Le Divan du Monde 」があります。



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