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ディートリヒ・フォン・コルティッツ : ウィキペディア日本語版 | ディートリヒ・フォン・コルティッツ
ディートリヒ・フォン・コルティッツ(Dietrich von Choltitz、1894年11月9日 – 1966年11月5日)は、ドイツの軍人。最終階級はドイツ国防軍歩兵大将。第二次世界大戦中の1944年にパリ市防衛司令官を務め、連合国側による解放を実現した。 == 来歴 ==
=== 初期の軍歴 === 上シレジア地方(現ポーランド領)のヴィーゼ・グレーフリッヒに生まれる。1906年にドレスデン幼年学校に入学し、1914年3月に士官候補生としてザクセン第8ヨハン・ゲオルク王子第107歩兵連隊に配属された。同年勃発した第一次世界大戦中は西部戦線で従軍。1914年9月に少尉に昇進。戦後もヴァイマル共和国軍に残り、1924年11月に中尉に昇進。1929年4月に騎兵大尉に昇進し騎兵大隊長を務める。1935年8月に少佐に昇進し、1937年2月に空輸歩兵連隊第3大隊長に任命された。1938年4月、中佐に昇進。 第二次世界大戦が勃発すると、1940年のオランダの戦いでコルティッツの大隊はロッテルダムに架かる橋の空挺強襲による奪取作戦に投入された。この戦功により同年5月に騎士鉄十字章を受章。同年9月、空輸歩兵連隊長に就任。1941年に大佐に昇進。同年始まった独ソ戦にも従軍し、1942年6月のセヴァストポリ攻略戦に参加した。同年少将に昇進し、翌年中将に昇進。第11装甲師団、ついで1942年8月から10月まで、中将の代理として第260歩兵師団司令官を務めた。その後も様々な軍団や装甲軍団の司令官代理、司令官を歴任し、1944年3月にイタリア戦線、6月にフランスに転属となった。
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