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デイジー・アシュフォード : ウィキペディア日本語版
デイジー・アシュフォード

デイジー・アシュフォ-ド(Daisy Ashford、Margaret Mary Julia Ashford 結婚後: Devlin、1881年4月7日1972年1月15日)はイギリスの小説家である。9歳の時に書いた小説、『ヤング・ビジターズ』(The Young Visiters)が1919年に出版されて話題となり、この本は何度も再刊されている。「無意識によるユーモアの古典」と評されている〔『闊歩する漱石』、丸谷才一著 講談社(2000年)「あの有名な名前のない猫」の章〕。
サリー州、ピーターシャムに生まれた。父親のWilliam Henry Roxburgh Ashfordは裕福な炭鉱主であった。家庭教師から教育を受け、Maria Veronica 'Vera'(1882年生まれ)、Angela Mary 'Angie'(1884年生まれ)の妹たちとすごした。4歳のときに物語をつくり、父親が筆記した。9歳の時に『ヤング・ビジターズ』が書かれた。10代後半で小説を書くのをやめたが、『ヤング・ビジターズ』が書かれてから29年後、秘書として働いていたアシュフォードは亡くなった母親のもとに残されていたノートを見つけて、おもしろがって友人に見せると、小説家のフランク・スウィナトンが読むことになり、ピーターパンの作者、ジェームス・マシュー・バリーの序文をつけて刊行されて、ベストセラーになった。9歳の子供のかいたままに印刷され、綴りの間違いなどのおかしさも喜ばれた。
1920年に、他の原稿を探し出し、妹のアンジェラが8歳の時に書いた小説とともに、『デイジー・アシュフォ-ド 彼女の本』を刊行した。
==著書==

*''The Young Visiters, or, Mr Salteena's Plan'' London: Chatto and Windus, 1919
*''Daisy Ashford: Her Book: A Collection of the Remaining Novels'' London: George H. Doran and Company, 1920
*''Love and Marriage: Three Stories'' London: Hart-Davis, 1965
*''Where Love Lies Deepest'' London: Hart-Davis, 1966
*''The Hangman's Daughter and Other Stories'' Oxford University Press 1983 (Includes ''The Life of Father McSwiney'')

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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