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フライシャー・スタジオ(Fleischer Studios, Inc.)は、ニューヨーク州ニューヨーク市ブロードウェイ1600番地で設立されたアニメーション制作会社に端を発するアメリカの企業。1921年にユダヤ系アメリカ人のマックス・フライシャーとデイブ・フライシャーのフライシャー兄弟により設立され、1942年1月にパラマウント映画に買収されるまで同兄弟により経営されていた。フライシャー・スタジオは初期のウォルト・ディズニー・プロダクション(後のウォルト・ディズニー・カンパニー)の最も重要な競争相手であり、『』『ベティ・ブープ』『ポパイ』『スーパーマン』などのカートゥーン映画を制作した点で注目に値する。 創業者のフライシャー兄弟は長年の功績が認められ、1972年にアニー賞のウィンザー・マッケイ賞を贈られた。 == 無声映画作品 == マックス・フライシャーによる、人間の演技をアニメーションで再現するロトスコープの発明により、フライシャー・スタジオの歴史は始まった。この装置を使って、フライシャー兄弟は1919年にブレイ・スタジオと契約し、『インク壺の外へ(原題:Out of the Inkwell)』と題されたシリーズ作品を制作した。この作品には、フライシャー兄弟による最初のキャラクターである道化師ココが登場する。このシリーズは大きな成功を収め、1921年にフライシャー兄弟は彼ら自身のスタジオを設立するための信用を獲得した。 1920年代を通じて、フライシャー・スタジオは知的なユーモアと多くの革新性を備えた、一流アニメーション制作会社の一つであった。この当時のフライシャーの作品には、有名なバウンシング・ボール方式を特徴とするミュージック・ビデオの原型であるシング・アロング形式の短編映画『ココ・ソング・カーチューン(原題:Ko-Ko Song Cartunes)』から、相対性理論のような主題を扱った教育アニメーションが含まれていた(訳注:シング・アロングとは、スクリーン中の映像に合わせて観客が一緒に歌える形式の映画。バウンシング・ボールは、表示される歌詞の上をはねるボールにより観客に次の歌詞を教える仕組み)。 世界初のトーキーである『ジャズ・シンガー』公開の何年も以前に、フライシャーは音声を備えた複数の実験映画を制作していた。しかしながら電気式スピーカーの設備を備えた劇場は少数であったこともあり、これらの音声付き短編はほとんど注目されなかった。 『カム・テイク・ア・トリップ・イン・マイ・エアシップ(原題:Come Take a Trip in My Airship)』『いとしきネリー・グレイ(原題:Darling Nelly Gray)』『なつかしきケンタッキーのわが家(原題:My Old Kentucky Home)』『イン・ザ・グッド・オールド・サマー・タイム(原題:In the Good Old Summer Time)』などの1ダース以上の初期のカートゥーン映画で画像と音声を同調させるために、フライシャーはリー・ド・フォレストが開発した方式を採用した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「フライシャー・スタジオ」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Fleischer Studios 」があります。 スポンサード リンク
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