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デイブ・リゲッティ : ウィキペディア日本語版
デイブ・リゲッティ

デイブ・リゲッティDavid Allan Righetti , 1958年11月28日 - )はアメリカメジャーリーグで活躍した投手。左投左打。
アメリカ合衆国カリフォルニア州サンノゼ出身。ニックネームは「Rags」。
先発投手としてノーヒットノーランを達成し、救援投手としてリーグのセーブ王に輝いた最初の投手。
== 人物・来歴 ==
1月ドラフトでテキサス・レンジャーズから1巡目(全米10位)で指名され、入団するが、メジャー昇格することなく、11月10日に5対5の交換トレード〔ヤンキースに移籍した際の5対5のトレード(厳密に言うとレンジャーズは5選手プラス金銭を得ている)では、ヤンキースからレンジャーズに移籍した選手にのサイ・ヤング賞投手スパーキー・ライルや、デーブ・レーシッチ広島でプレイ。中日でプレイしたゲーリーの兄)が含まれていた。〕でニューヨーク・ヤンキースに移籍。
当初は先発投手で、9月16日に背番号「56」のユニフォームでメジャー初登板・初先発を果たす。
は再びマイナーに降格し、メジャーでの登板はなかったが、には背番号「19」となる。これは途中にトロント・ブルージェイズに移籍するまでは、チームを変えても変わらなかった。
その1981年は50日間に及ぶストライキのためシーズンが中断・短縮されたが、15試合に登板(すべて先発)して8勝4敗、防御率2.05の成績を挙げ、ア・リーグ新人王に選ばれた。
チームもワールドシリーズに進出。ロサンゼルス・ドジャースとのシリーズ第3戦に先発したがロン・セイに3ランを打たれ2回0/3で降板、これがリゲッティにとって最初で最後のワールドシリーズでの登板となってしまった。
は11勝10敗。はアメリカ独立記念日にあたる7月4日ボストン・レッドソックス戦でノーヒットノーランを達成し、この年14勝8敗をあげる。ノーヒットノーランは、ヤンキースの投手としては1956年のワールドシリーズドン・ラーセン完全試合を達成して以来27年ぶりで、左腕投手に限れば以来66年ぶりの快挙となった。
その年のオフにリリーフエースのリッチ・ゴセージ(のちダイエーでもプレイ)がサンディエゴ・パドレスに移籍したため、にはリリーフに転向。
早速31セーブをあげると、以後7年間平均32セーブをあげて、リーグを代表するクローザーの一人となった。
特にには、シーズン最終戦となった10月4日のレッドソックスとのダブルヘッダーの両試合でセーブをマークしてメジャー新記録(当時)〔のちにボビー・シグペン(当時シカゴ・ホワイトソックス、のちダイエーでもプレイ)が57セーブをあげて、大幅に更新した。左腕投手としての記録もにランディ・マイヤーズシカゴ・カブス)が53セーブをあげて更新。ただし、終了時点で依然ア・リーグの左腕投手の記録となっている。〕の46セーブもを記録。ダン・クイゼンベリーブルース・スーターが持っていた45を更新した。また、同年オールスターにも初出場。ノーヒットノーランを達成し、リーグのセーブ王になった最初の投手にもなった。〔のちにデニス・エカーズリーが2人目となった。〕翌もオールスターに出場し、2年連続で最優秀救援投手に選ばれた。
オフにフリーエージェント(FA)で故郷サンノゼに近いサンフランシスコ・ジャイアンツと契約。
移籍初年度のにはメジャーの左腕投手の通算最多セーブ記録を更新〔前の記録保持者はヤンキース移籍時の交換相手の一人・ライルであった。〕したが、年間を通じて24セーブに終わり、以後は中継ぎに降格となった。
限りでジャイアンツを解雇されると、サンフランシスコの対岸・オークランドアスレチックスと契約。
しかし開幕から7試合の登板で防御率16.71の散々な成績で途中で解雇され、トロント・ブルージェイズに移籍。
ここでは背番号19は後にアメリカ野球殿堂入りするポール・モリターがつけていたため、背番号「24」をつける。
シーズン終了後再び解雇され、翌のスプリング・トレーニング(日本でいう春季キャンプに相当)中にシカゴ・ホワイトソックスと契約。背番号は「45」となった。
ここでは主に先発投手として起用されたが3勝2敗の成績に終わり、シーズン終了後に解雇。
現役続行を志したが契約するチームはなく、この年限りで現役を引退した。
通算252セーブのうち、224セーブはア・リーグで記録。これは現在でも左腕投手のリーグ記録である。1987年オフに、外国人投手の獲得を進めていた読売ジャイアンツが興味を持っているとの報道もあった。結局この時巨人が獲得したのはビル・ガリクソンであった。
現在はジャイアンツの投手コーチを務めている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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