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デイヴィット・O・セルズニック : ウィキペディア日本語版
デヴィッド・O・セルズニック[でう゛ぃっどおーせるずにっく]

デヴィッド・O・セルズニックDavid O. Selznick, 1902年5月10日 - 1965年6月22日)は、アメリカ合衆国ペンシルベニア州ピッツバーグ出身の映画プロデューサー脚本家
== 略歴 ==
父親のルイス・J・セルズニックはサイレント映画の監督であった。コロンビア大学で学び、1923年に父親の会社が破産するまでそこで映画製作に携わる。1926年にメトロ・ゴールドウィン・メイヤーに入るが2年後にパラマウント映画に移る。その3年後、今度はRKOに移り、『キング・コング』などを制作。1935年に独立し、セルズニック・インターナショナル・ピクチャーズを設立した。1949年に女優のジェニファー・ジョーンズと再婚。
作品に関しては監督に委任する方針を取らず、ヒッチコックは『レベッカ』について「あれ(アカデミー賞作品賞)はセルズニックに与えられた賞だ」と述べたほどである。
うるさく口出しする方針が嫌われて、監督からも俳優からも疎んじられるようになり、契約を拒まれ、ろくに制作もできなくなるハメになった。最後には多額の負債を抱えて破産寸前にまでなり、精神科医にかかった事もあった。
妻であるジェニファー・ジョーンズとの関係は良好だった。ジョーンズは彼と結婚している間の1955年、『慕情』で主役を務めたが、共演者であるウィリアム・ホールデンのことを嫌い「夫が見たらどう思うか」と言っていたという。
セルズニックの能力は、映画の絵画的な美しさにおいて強く発揮されたという評価・逸話もある。
彼のプロデュース作品の短いテーマ曲は映画音楽の作曲家アルフレッド・ニューマンが担当した。オープニングではそのテーマ曲に乗せて社屋が映し出される。
1939年度のアービング・G・タルバーグ賞を受賞した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「デヴィッド・O・セルズニック」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 David O. Selznick 」があります。



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