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"ラヴァーボーイ" デニス・コンドリー("Loverboy" Dennis Condrey、1952年2月1日 - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラー。アラバマ州フロレンス出身。 1980年代に一世を風靡したタッグチーム・ユニット、ミッドナイト・エクスプレス(The Midnight Express)のオリジナル・メンバー。在籍期間もメンバー中で最長である。 == 来歴 == ジンとオレイのアンダーソン兄弟にスカウトされ、1974年にデビュー〔『THE WRESTLER BEST 1000』P270(1996年、日本スポーツ出版社)〕。地元アラバマのサウスイースタン・チャンピオンシップ・レスリング(SECW)とテネシー州メンフィスのNWAミッドアメリカ地区(後のCWA)を主戦場に、1975年から1978年にかけてはフィル・ヒッカーソンとの悪党コンビで活動。デビッド・シュルツともタッグを組み、1979年11月22日にポール・オーンドーフ&ディック・スレーターからNWAサウスイースタン・タッグ王座を、1980年4月7日にビリー・ロビンソン&ケン・ルーカスからAWA南部タッグ王座を奪取した。 シングルでは1979年8月15日、CWAにてジプシー・ジョーを破りNWA世界ブラスナックル王座を獲得。1980年6月14日にはSECWにてテリー・テイラーからNWAサウスイースタン・ヘビー級王座を奪取している。ジム・バーネット主宰のジョージア・チャンピオンシップ・レスリングにも出場し、1980年9月8日にスティーブ・カーンを破りNWAジョージア・ヘビー級王座にも戴冠した。 1980年11月からはランディ・ローズと新チームを組み、翌1981年にノーベル・オースチンを仲間に加え、トリオのユニットとしてミッドナイト・エクスプレスを結成。以降、アラバマのSECWとテネシーのCWAを股にかけ、両プロモーション認定のタッグ王座を再三獲得した〔〔。シングルにおいても、SECWでは1981年8月31日にレイ・キャンディ、10月26日にボブ・アームストロングをそれぞれ破り、NWAアラバマ・ヘビー級王座を2回獲得している。 1983年の末にミッドナイト・エクスプレスは一旦解散し、コンドリーはCWAからのトレードでボビー・イートンやジム・コルネットと共にビル・ワット主宰のMSWAに移籍。1984年より、イートンを新パートナー、コルネットをマネージャーに迎え、MSWAにて第2期のミッドナイト・エクスプレスを編成する。1985年からはノースカロライナのNWAジム・クロケット・プロモーションズに参戦。ロックンロール・エクスプレスやロード・ウォリアーズを相手に抗争を繰り広げ、当時の米マット界のタッグ戦線を牽引した〔。 1987年初頭にNWAを突如脱退、旧メンバーのランディ・ローズと再合体し、"オリジナル" ミッドナイト・エクスプレスを名乗ってAWAに登場。ポール・E・デンジャラスリーを新マネージャーに、同年10月30日、CWA時代から因縁のあるジェリー・ローラー&ビル・ダンディーからAWA世界タッグ王座を奪取。以降もマーティ・ジャネッティとショーン・マイケルズのミッドナイト・ロッカーズとタイトルを争った。 翌1988年からは、オリジナル・ミッドナイト・エクスプレスとしてローズ&コルネットを帯同しNWAに復帰。彼の離脱後に再編されていたボビー・イートンとスタン・レーンの第3期ミッドナイト・エクスプレスとの、同名チームによる骨肉の遺恨試合を繰り広げた。 テッド・ターナーのNWAクロケット・プロ買収後は新会社のWCWに残留せず、古巣のアラバマに復帰。SECWから名称を変更したコンチネンタル・レスリング・フェデレーション(CWF)に参戦し、1989年7月にトム・プリチャードからCWFヘビー級王座を奪取した。以降、エディ・ギルバートの実弟ダグ・ギルバートとのリーサル・ウェポンズなどで活動後、1990年に引退した〔。 2000年代も時折、各地のインディー団体やリユニオン・イベントにゲスト出場し、ボビー・イートンらとミッドナイト・エクスプレスを再結成している〔。2008年6月7日にジョージア州アトランタで行われた "NWA Anniversary Show" では、コンドリー&イートン(w / コルネット)対ロックンロール・エクスプレスという1980年代の黄金カードが再現された。 2010年3月、デベロップメント・トレーナーとしてWWEと契約、ファーム団体FCWにおいてNXTの新人選手育成を担当した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「デニス・コンドリー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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