|
デニー・レイン (Denny Laine) の芸名で知られるブライアン・フレデリック・アーサー・ハインズ(Brian Frederick Arthur Hines、1944年10月29日 - )は、イギリス、バーミンガム出身のミュージシャン。 ボーカルの他、ギター、ベース、ハーモニカ、キーボードと様々な楽器をこなすマルチプレイヤーであり、作詞作曲も手がける。 ムーディー・ブルース(The Moody Blues)のオリジナル・ギタリスト兼シンガーであり、特にポール・マッカートニー率いるウイングス(Wings)では、結成当時からの活躍が有名。 ==経歴== ===初期〜ムーディー・ブルース=== バーミンガムのヤードリー・グラマー・スクール在学中に、ジプシー・スウィングの伝説的プレイヤージャンゴ・ラインハルトの影響を受けてギターを手にする。 12歳の時に初ステージを踏み、後にエレクトリック・ライト・オーケストラでプレイするベヴ・ベヴァンとともにデニー&ザ・ディプロマッツを結成し、プロとしてのキャリアをスタートする。 1964年、マイク・ピンダーとともにディプロマッツを脱退し、ムーディー・ブルースを結成。ヒット曲「ゴー・ナウ」(''Go Now'')など多くの曲でリードを取るが、徐々にシンフォニック・ロック的なサウンドを志向し始めたグループとの音楽性の違いから、1966年に脱退。 ムーディー・ブルース脱退後、後のエレクトリック・ライト・オーケストラに似たストリングス・セクションを持つエレクトリック・ストリング・バンドを結成、ギターとボーカルを担当した。彼らはデラム・レコードから2枚のシングル(「セイ・ユー・ドント・マインド」(''Say You Don't Mind'')、「トゥー・マッチ・イン・ラヴ」(''Too Much In Love''))をリリースし、ジミ・ヘンドリックス、プロコル・ハルムらとロンドンのサヴィル・シアターのステージにも立った。しかし、知名度はそれほど上がらず、エレクトリック・ストリング・バンドは解散。 1970年にはジンジャー・ベイカーのバンド、ジンジャー・ベイカーズ・エアフォースに加入するがこれも短命に終わった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「デニー・レイン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|