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デビアス : ウィキペディア日本語版
デビアス

デビアスグループ()は、南アフリカ共和国ハウテン州ヨハネスブルグ市都市圏に本社を置くダイヤモンドの採鉱・流通加工卸売会社。資源メジャーのひとつ。現在は多角的鉱山企業・アングロ・アメリカン社の子会社。
== 歴史 ==
デビアスは1888年3月13日、アルフレッド・バイトらの援助を受け、セシル・ジョン・ローズ が設立した〔Epstein, Edward Jay (1982). The rise and fall of diamonds: the shattering of a brilliant illusion. Simon and Schuster.〕。
会社の名前は、ヨハネス・ニコラス・デ=ビアとディーデリック・アーノルダス・デ=ビアの、二人のアフリカーナー人農民の農場名に由来している。オレンジ川バール川が合流する、ヴールイトツィヒトと呼ばれる地点の付近でダイヤモンドが発見された。しかし兄弟は続いて起こるダイヤモンドのラッシュに農場を維持することができずに、6300フランで農地を売ることになった。兄弟は鉱山の所有者にはなれなかったが、これらの鉱山のうちの1つは二人に由来して命名されている。セシル・ローズは、ライバルであるバーニー・バルナートのキンバリー鉱山も吸収統合することで圧倒的なシェアを実現した 。
1902年には、デビアス・サッカークラブが、デビアスが南アフリカケープタウン岸と西ケープ州の近くにダイナマイト工場を建設した際に設立された。その工場はローレンス川河口の真西、フォールス湾海岸に置かれた。
20世紀には、オッペンハイマー家が支配的株主となり、アーネスト・オッペンハイマー卿、彼の息子ハリー・オッペンハイマーおよび彼の孫ニッキー・オッペンハイマーがそれぞれ会長に就いていた。(アレックス・オッペンハイマーおよびテーラー・プラント、両方の相続人および親類も参照) 2011年11月、オッペンハイマー家は保有するデビアス株40%をアングロ・アメリカンに51億ドルで売却し、1世紀に及ぶ一族支配は終焉を迎えた。
19世紀後半に南アフリカは“鉱物革命”と呼ばれる迅速な産業化を経験し、金やダイア鉱山での労働者の需要が高まった。キンバリーでは、労働力の大部分はコイコイ人コサ人の季節労働者によって担われた。彼らは夏に賃金のためにダイア鉱山で働く若者である。
しかし彼らは不安定な労働力であること、かつ会社が労働者のダイヤモンドの横領を常に警戒していたこともあり、デビアスは労働者の囲い込みを行った。契約期間中、坑夫は現地に滞在しなければならない契約をデビアスと結ばされた。白人労働者は街に住むことを認められていたが、黒人労働者は私製通貨が支給され、宿泊・食事・会社提供の安いモロコシビール等と交換しそれで生活することが要求された。黒人労働者は週末には街への外出が許可されていたが、1887年には月曜の朝に二日酔いで出てくる労働者を避けるため廃止された。
アパルトヘイト時代には、会社には囚人を労働力に使う許可が与えられ、19世紀末までデビアスは10,000人以上の刑務所労働者を毎日使用していた(これには議論がある)。大多数の囚人は、1952年に制定された厳密なアパルトヘイト法のために投獄されたと言われている。
現在、デビアスは米国内の第一の小売拠点をニューヨークに、第二の小売拠点をロサンゼルスビバリーヒルズ区に置いている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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