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デビッドソン・マクドナルド : ウィキペディア日本語版 | デイヴィッドソン・マクドナルド
デイヴィッドソン・マクドナルド(、1836年 - 1905年1月3日)は、カナダ・ウェスレアン・メソジスト教会が明治時代に日本に派遣した宣教師である。マクドナルドの弟子たちは静岡バンドを形成した。 カナダのオンタリオ州プリンスエドワード郡ブルームフィールドで、スコットランド人の間に生まれる。ビクトリア大学神学部を卒業し〔、1864年にカナダ・ウェスレアン・メソジスト教会の教職として按手を受ける。牧師の傍らトロント大学医学部に学び〔〔、医学博士(M・D・)の学位を取得した。1873年(明治6年)にウェスレアン・メソジスト教会の伝道会社からジョージ・コクランと共に宣教師として任命されて、1873年6月に横浜に上陸した。初めは横浜で活動して、翌1874年(明治7年)4月静岡県の私立英学塾の賤機舎のお雇い教師として招聘され赴任した〔。静岡では牧師館でバイブルクラスを開いて、9月27日に11名英学生らに洗礼を授けて、静岡教会(現・日本基督教団)を組織した。静岡教会で洗礼を受けた人は、ほとんどが徳川静岡藩の旧幕臣であった。1878年(明治11年)に一時帰国するまでの4年間に129人に洗礼を授けた〔。 静岡教会を拠点にして静岡県下に伝道が行われて、清水市、浜松市、藤枝市、島田市、川崎市、焼津市、掛川市、沼津市の各地に多数の教会を生んだ。これらの伝道を従事した人材を静岡バンドと言う。代表的な人物に、山中笑、土屋彦六、山路愛山、今井信郎、高木壬太郎がいる。 1876年(明治9年)にマクドナルドは静岡県のお雇い医師に招聘され、県立静岡病院に勤めた〔。1879年(明治12年)に再来日し、東京・築地の明石町で医療と伝道を行った〔。1904年(明治37年)に帰国〔。 == 出典 ==
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