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デビッド・アルダナ(''David Aldana'', 1949年11月26日 - )はアメリカ合衆国カリフォルニア州サンタアナ出身の元オートバイレーサーである。ダートトラックレースやロードレースで活躍した。 == 経歴 == アルダナはそのワイルドなライディングスタイルと奇抜なレーシングウェアによって、1970年代のAMAグランドナショナル選手権において最も華やかなレーサーの一人として記憶されている〔David Aldana at the Motorcycle Hall of Fame 〕。モトクロスやスピードウェイレースを含む、ほとんどあらゆるカテゴリのレースに出場経験を持つライダーである〔。 1970年、BSAのマシンでAMAグランドナショナル選手権にデビューしたアルダナは、ルーキーでありながらタイトル争いに絡む活躍を見せた〔。サクラメントのマイルレースでのクラッシュによって3戦を残してタイトルの望みを絶たれてしまったものの、3勝を挙げてランキング3位に食い込んだのである〔。優勝かリタイヤか、という派手なレース運びは多くのファンを獲得した。 また、自らデザインした、前面に骸骨をあしらったレザースーツでも有名である。このスーツは悪趣味であるとの物議を醸し、AMAのオフィシャルはアルダナがこのスーツを着用してレースに出場するのであれば1ポイントを剥奪するとの宣言まで出した〔。 1970年代後半になるとアルダナは活躍の場をロードレースに集中させるようになった。 1975年にはロードレースにおける米英対抗戦であるトランス・アトランティック・マッチレースにアメリカチームのエースとして出場し初勝利に貢献した〔Classic Racer, September/October 2008, Issue 133, p. 36, William Gibbons & Son, Wolverhampton. ISSN 1470-4463 〕。 1975年からスズキのワークスライダーとして走った後、1980年には若きエディ・ローソンのチームメイトとしてカワサキのAMAスーパーバイクチームに加わった。 また、ホンダ・ワークスの一員としてボルドール24時間を初めとするFIM世界耐久選手権にも出場した。1981年にはマイク・ボールドウィンとのペアで鈴鹿8時間耐久レースに優勝している〔鈴鹿サーキット#鈴鹿8耐#第4回大会1981年 〕。 8耐にはその後も出場しており、1982年の豪雨の中のレースではホームストレートで転倒、濡れた路面を滑走してメインスタンド前を駆け抜けるというシーンを演じた(転倒にもかかわらずレースは6位完走)〔ヨシムラジャパン#RACE#歴史1982 〕。 アルダナはいくつかの大きな国際レースに出場するかたわらAMA選手権で通算4勝を挙げ、1999年にはAMAモーターサイクル殿堂入りを果たした〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「デビッド・アルダナ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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