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デヴィッド・リンドレー (David Lindley、1944年3月21日〔http://www009.upp.so-net.ne.jp/wcr/dlindley.html 〕 - ) は、米国のミュージシャン、シンガー。ギターを始め、ワイゼンボーン、バイオリン、バンジョー、マンドリンなど、様々な弦楽器を操る。ブルースからワールドミュージックまでプレイする幅広い音楽性と、スライド・ギターのプレイが特徴的であるところなどは、ライ・クーダーと通ずるものがある。 ==来歴== 1944年、カリフォルニア州サンマリノに生まれる。10代でバンジョーを弾き始め、トパンガ・キャニオンのバンジョー・フィドル・コンテストで計5回優勝した〔David Lindley official site biography 〕。 1967年、自身のバンド、カライドスコープを結成、1971年まで活動した後、ジャクソン・ブラウンのバンドにギタリストとして参加する。ブラウンとは1981年まで活動を共にし、彼の黄金期のサウンド形成に貢献した〔。 1981年、エル・ラーヨ・エキスを結成し、アサイラム・レコードより初のリーダー作''El Rayo-X''をリリースした。ヒューイ・"ピアノ"・スミスやアイズレー・ブラザーズの曲をレゲエ調でプレイするなど、独自の世界を展開している。このアルバムは日本ではリンドレー自身が指定した邦題「化けもの」というタイトルでリリースされた。エル・ラーヨ・エキスとは1988年の''Very Greasy''まで計4枚のアルバムをリリースした。 1990年代に入ると、ヘンリー・カイザーと組み、シャナキー・レコードよりマダガスカル音楽とノルウェー音楽のアルバムを相次いで発表した。この頃、ヨルダン出身のパーカッショニスト、ハニ・ナッサーと出会い、彼とのデュオでツアーをするようになった。1994年には、このデュオで日本でレコーディングしたライブ・アルバム''Official Bootleg #1: Live In Tokyo Playing Real Good''をリリースした。リンドレーは、このアルバム以降、特定のレコード会社との契約をせず、自主制作でアルバムをリリースするスタイルをとっている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「デヴィッド・リンドレー」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 David Lindley (musician) 」があります。 スポンサード リンク
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