翻訳と辞書
Words near each other
・ デルフィーノ・ペスカーラ
・ デルフィーノ・ペスカーラ1936
・ デルフィーノ・ボローニ
・ デルフィーン・ラローリー
・ デルフェルデン
・ デルフォイ
・ デルフォイの神託
・ デルフォイ神殿
・ デルフォニックス
・ デルフォルヘ
デルフォ・カブレラ
・ デルフォ・ゾルジ
・ デルフザイル
・ デルフス
・ デルフセイル
・ デルフゼイル
・ デルフチア・アシドボランス
・ デルフト
・ デルフト工科大学
・ デルフト市


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

デルフォ・カブレラ : ウィキペディア日本語版
デルフォ・カブレラ

デルフォ・カブレラ(Delfo Cabrera、1919年4月2日- 1981年8月2日)は、アルゼンチン陸上競技選手。1948年ロンドンオリンピック男子マラソンの金メダリストである。
== 経歴 ==
カブレラは、アルゼンチン北部のサンタフェ州出身。青年時代はサッカーの選手であったが、1932年のロサンゼルスオリンピックのマラソンで、ファン=カルロス・サバラが金メダルを獲得したのに感化され陸上に転向した。
1938年にブエノスアイレスに転居。同年の国内選手権の5000mで優勝し初めての国内タイトルを獲得。その後、カブレラはさらに9つのタイトルを獲得するが、マラソンで優勝したことはなかった。
カブレラは、第二次世界大戦では陸軍に従軍。そこで後のアルゼンチン大統領となるフアン・ペロンと出会う。戦後はペロンの友人として、ペロン率いる正義党(ペロン党)の党員として精力的に活動。1949年には勲章を授かっている。
1948年ロンドンオリンピックは、カブレラにとって初めての大きな国際舞台となった。この大会カブレラはマラソンに出場。レースはベルギーエティエンヌ・ガイイが終始レースを支配。ところが、ガイイは先頭でスタジアムに現れたものの、残り400mで転倒。起き上がったものの再び転倒。40年前のロンドンオリンピックドランド・ピエトリの悲劇の再現となってしまった。この間に、カブレラと、イギリストーマス・リチャーズがガイイを追い抜き、カブレラがリチャーズに16秒差を付け金メダルを獲得した。
カブレラは、4年後のヘルシンキオリンピックのマラソンにも出場したが6位に終わっている。その後、1954年のボストンマラソンで6位という結果を残し現役を引退。引退後は体育教師となった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「デルフォ・カブレラ」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.