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デンカオセーン・カオウィチット : ウィキペディア日本語版
デンカオセーン・カオウィチット

デンカオセーン・カオウィチット(、、男性、1976年8月23日 - )は、タイプロボクサー。第70代WBA世界フライ級王者。元WBA世界スーパーフライ級暫定王者デンカオセーン・クラティンデーンジムデンカオセーン・シンワンチャーとも〔2007年11月4日の試合はデンカオセーン・カオウィチットの名で行われた。また2008年12月31日の試合は/Denkaosan Singwancha(デンカオセーン・シンワンチャー)、2009年5月26日の試合は/Denkaosan Kratingdaenggym(デンカオセーン・クラティンデーンジム)の名で行われた。WBA公式記録上はDenkaosan Kaovichit(デンカオセーン・カオウィチット)の選手名が一貫して使われている。〕。本名はステープ・ワンムック(Sutep Wangmuk)。タイ南部出身のムスリムである。ニワット・ラオスワンワット(Niwat Laosuwannawat)がプロモーター兼会長を務めるギャラクシーボクシングプロモーション所属。
== 来歴 ==
1996年11月28日、プロデビュー。そのデビュー戦でPABAフライ級王座決定戦に出場。メルビン・マグラモ(フィリピン)と対戦し、12回判定勝ち。王座獲得に成功。この王座は2002年8月に返上するまで18度の防衛に成功した。
2002年10月13日、世界初挑戦。WBA世界フライ級王者エリック・モレルプエルトリコ)に挑んだが、11回TKO負け。プロ初黒星を喫した。
2003年11月25日、PABAフライ級暫定王座決定戦出場。ジャック・メルディザール(フィリピン)と対戦し、3回TKO勝ち。1年3か月ぶりのPABA王座返り咲きを果たした。初防衛後の2004年4月、正規王者ロリー・ルナス(フィリピン)の王座返上に伴い、正規王者昇格。その後、暫定王座獲得からの防衛回数を16まで伸ばす。
2007年11月4日、5年ぶりの世界再挑戦。さいたまスーパーアリーナでWBA世界フライ級王者坂田健史日本=協栄ジム)に挑むが、ホールディングによる減点もあり、三者三様の12回判定引き分け。またしても世界王座に手が届かなかった。
2008年3月21日、ABCOフライ級王座決定戦出場。レイ・オライス(フィリピン)と対戦し、3回KO勝ち。王座獲得に成功。
2008年10月17日、PABAフライ級暫定王座決定戦出場。デニス・ファンティリャノ(フィリピン)と対戦し、2回KO勝ち。王座返り咲きに成功した。
2008年12月31日、3度目の世界挑戦。広島サンプラザホールでWBA世界フライ級王者坂田健史と再戦。序盤から攻勢を仕掛け、迎えた2回、残り20秒を切ったところで右フックが王者の左首筋にヒット。たまらずダウンした王者は立ち上がることができず、そのまま10カウント。デンカオセーンのKO勝ちとなり、48戦目にして悲願の世界王座奪取を果たした。
2009年2月13日、デンカオセーンに2人存在するマネージャーの一方であるナリス・シンワンチャーを介しての交渉により亀田興毅(日本=亀田ジム)が対戦契約を主張したが、契約書として提示された書類には署名の不備などが認められた。翌14日にはデンカオセーンがより信頼するマネージャーで、所属するギャラクシーボクシングプロモーションの会長を務めるニワット・ラオスワンワットを介して交渉を進めた升田貴久(日本=三迫ジム)が契約合意を発表予定であったが、当初4月末頃に予定されていた初防衛戦は陣営内部の対立により白紙になった。交渉をまとめるため12日に来日していたニワットとデンカオセーンは2月14日に緊急会見を行い、二重の交渉がいずれも契約成立には至らなかったことを説明した。
2009年5月26日、紆余曲折の末、ウッタラディット県のセントラル・スタジアムで久高寛之(日本=仲里ATSUMI)と対戦。減量等の調整が不十分な様子で本来の老獪なボディワークが悪い方向へ向かい、ラビットパンチ、クリンチ、ホールディングなどの連続で試合を展開。2度の反則減点を受けたが、それでも12回2-1の判定勝ち。初防衛に成功した。
2009年10月6日、大阪市中央体育館亀田大毅(日本=亀田ジム)と対戦。試合は序盤からデンカオセーンが亀田大のボディを執拗に狙い打ち、ポイントをリード。戦前の評価ではスタミナに不安があるとされていたが、終盤に入っても的確なジャブと巧みなインサイドワークを駆使する試合巧者ぶりを発揮し、12回を戦い抜く。判定の結果は2-0で2度目の防衛に成功した。
2010年2月7日、神戸ワールド記念ホールで亀田大毅と再戦したが、2度の減点もあり、0-3の12回判定負け。3度目の防衛に失敗し王座から陥落した。
2010年4月19日、PABAフライ級王者レイ・ミグレノ(フィリピン)に挑戦。10回負傷判定勝ちを収め、同王座4度目の獲得。5月8日にはスーパー王座認定を受けPABAフライ級スーパー王者になった。
2010年10月2日、世界王座返り咲きを懸け、パナマシティアレナ・ロベルト・デュランでWBA世界フライ級暫定王者ルイス・コンセプシオンパナマ)に挑戦したが、初回に3度のダウンを奪われ最後は左アッパーが当たり失神。1分30秒TKO負けで1年振りの王座返り咲きに失敗した〔デンガオセーン90秒KO負け パナマのKOドラッグ興行 ボクシングニュース「Box-on!」 2010年10月5日〕。
減量苦を理由にスーパーフライ級に転向。
2011年1月24日、サムットソンクラーム県のバーンカンテークでPABAスーパーフライ級暫定王座決定戦に出場し、ユディ・アリマー(インドネシア)を9回1分32秒TKOで下し、PABAスーパーフライ級暫定王座を獲得。同年3月にはスーパー王座認定を受けPABAスーパーフライ級スーパー王者となった。
2011年3月22日、ナコーンサワン県パユハキーリー郡でパンカ・シラバン(インドネシア)と対戦し、2回KO勝ちを収め初防衛に成功した。
2011年6月21日、バンコクのバンコク大学トンブリーキャンパスでヘンドリー・バロンサイ(インドネシア)と対戦し、3-0(118-110、117-111、116-112)の判定勝ちを収め2度目の防衛に成功した。
2011年10月17日、バンコクのクルンテープ・トンブリ大学でエディソン・バーウェラ(フィリピン)と対戦し、3-0(119-110、117-112、117-111)の判定勝ちを収め、3度目の防衛に成功した。
2012年1月24日、ロッブリー県の陸軍幼稚園でロニー・レックス・ダロット(フィリピン)と対戦し、3-0(117-111、119-109、117-111)の判定勝ちを収め4度目の防衛に成功した。
2012年4月2日、ウッタラディット県リノ・ウクル(インドネシア)と対戦し、3回TKO勝ちを収め5度目の防衛に成功した。
2012年7月24日、チエンラーイ県ロデル・クイラトン(フィリピン)と対戦し、3-0(118-110、118-110、118-111)の判定勝ちを収め6度目の防衛に成功した。
2012年11月13日、アユタヤ県のアユタヤパークでロデル・テハレス(フィリピン)と対戦し、3回TKO勝ちを収め7度目の防衛に成功した。
2013年1月4日、バンコクのクルンテープ・トンブリ大学でガリ・スサント(インドネシア)と対戦し3-0(119-109、118-110、119-109)の判定勝ちを収め、8度目の防衛戦に成功した。
2013年3月19日、バンコクのバンコク大学トンブリーキャンパスで堤英治(日本=三迫ジム)と対戦し、12回2分58秒TKO勝ちを収め9度目の防衛に成功した〔堤がデンカオセーンに健闘も最終回TKO負け ボクシングニュース「Box-on!」 2013年3月19日〕〔詳報 堤、デンガオセーンに惜敗 ボクシングニュース「Box-on!」 2013年3月20日〕。
2013年5月28日、スラートターニー県イチャル・トビダ(インドネシア)と対戦し、12回TKO勝ちを収め10度目の防衛に成功した。
2013年9月3日、当初は同年8月23日にバンコクにあるサイアム・パーク・シティで予定され〔名城がテーパリットとWBA暫定戦 ボクシングニュース「Box-on!」 2013年6月19日〕、自身の体調不良を理由に延期となっていた〔名城の暫定王座戦は延期=相手の体調不良で-WBA・Sフライ級 時事通信 2013年8月7日〕元WBA世界スーパーフライ級王者名城信男とのWBA世界スーパーフライ級暫定王座決定戦をナコーンラーチャシーマー県にあるスラナリー工科大学で行い、2-1(113-115.5、116-113.5、116.5-114)の判定勝ちを収め暫定ながら2階級制覇に成功した〔名城タイでデンカオセーンに判定負け デイリースポーツ 2013年9月3日〕〔【BOX】名城、デンカオセーンに判定負け スポーツ報知 2013年9月3日〕〔名城、デンカオセーンに判定負け Boxing News(ボクシングニュース) 2013年9月3日〕。
2013年12月19日、リボリオ・ソリスの王座剥奪に伴い空位となったWBA世界スーパーフライ級王座決定戦を元WBA世界スーパーフライ級王者河野公平と対戦するようWBAより指令が出た〔Kaovichit vs Kono por título vacante 115 libras WBA公式サイト 2013年12月19日〕〔WBAがデンカオセーンと河野の決定戦を指示 Boxing News(ボクシングニュース) 2013年12月20日〕。
2013年12月27日、WBAはデンカオセーン・カオウィチットと河野公平の間で行われるWBA世界スーパーフライ級王座決定戦を2014年3月26日に行うと発表した〔Kaovichit vs Kono will fight on March 26 WBA公式サイト 2013年12月27日〕。
2014年3月26日、後楽園ホールにて、元WBA世界スーパーフライ級王者でWBA世界スーパーフライ級2位の河野公平とWBA世界スーパーフライ級王座決定戦を行い、キャリア初のカウンテッドアウトとなる8回50秒KO負けを喫し王座獲得に失敗し(記録上は暫定王座の初防衛)6ヵ月保持していた暫定王座から陥落した〔河野が王座奪還、デンカオセーンを8回KO! Boxing News(ボクシングニュース) 2014年3月26日〕〔Kono KOs Kaovichit to regain vacant WBA 115lb title WBA公式サイト 2014年3月26日〕。
2014年7月4日、ピチット県ピチット・スタジアムガスパー・アンポロバンタム級契約6回戦を行い、3-0の判定勝ちを収め再起に成功した。
2014年9月5日、国立代々木競技場第二体育館で日本スーパーフライ級8位の松本亮(日本=大橋ジム)とバンタム級契約8回戦を行い、2回32秒KO負けを喫した〔村田諒太3-0判定勝ち、松本亮はデンカオに快勝 Boxing News(ボクシングニュース) 2014年9月5日〕〔松本、初の世界ランカー戦KOで無敗守る 日刊スポーツ 2014年9月6日〕。
2015年10月2日、シティ・オブ・シドニーのサバーブであるアレクサンドリアのペリー・パークにあるアレクサンドリア・バスケットボール・スタジアムでPABAスーパーバンタム級スーパー王者テリー・TJ・ドヘニーと対戦し、5回TKO負けを喫しPABA王座の3階級制覇に失敗した。
2016年4月3日、エディオンアリーナ大阪第2競技場OPBF東洋太平洋スーパーバンタム級11位の田中一樹(日本=グリーンツダジム)と54.7 Kg契約8回戦を行い、2回1分53秒KO負けを喫し、上述のドヘニー戦以来5ヵ月ぶりとなる試合に敗れたデンカオセーンは試合後に引退を表明した〔田中一樹がデンカオセーンをKO、元王者は引退宣言 Boxing News(ボクシングニュース) 2016年4月4日〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「デンカオセーン・カオウィチット」の詳細全文を読む



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