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デンマーク海上帝国[でんまーくかいじょうていこく]
デンマーク海上帝国(デンマークかいじょうていこく)は、17世紀以降、デンマーク王国が海外各地に築いた植民地支配及び交易体制を指す。この場合、ヴァイキング時代からの植民地、グリーンランド、アイスランド、フェロー諸島など北極海の植民地は含まない事が多い。またデンマークの場合、領域支配より交易のための海上覇権が中心であったので、オランダやポルトガル同様、「海上帝国」と言う名称が相応しい。 == 概要 == 17世紀初頭のクリスチャン4世の時代に、デンマークは本格的に植民地戦争に参入する。1616年に「デンマーク東インド会社」を設立し重商主義を推し進めて、インドへ進出した。しかしデンマークは、イングランド、オランダ、スペインなどの海軍強国の狭間では、その海軍力を誇示する事が出来ず、北欧最大の海洋国家も、大航海時代においては、覇権を得ることは不可能に近かった。とはいえ、イギリス、オランダなどの海軍強国との友好関係は、デンマークの海運帝国の維持に役立ったと言える。同時期にスウェーデンが、海上帝国の建設に失敗した事を挙げれば、西欧との友好関係が、いかに外海に閉ざされた北欧に影響を与えたかは明白である。 その後も西アフリカ沿岸、新大陸の西インド諸島などの植民地化に成功する。17世紀から18世紀にかけてのデンマークは、海運の隆盛期であり、黄金時代であった。バルト海の覇権を失っても、外洋との連係を保ち続けた事が、デンマークの国力を維持させた原動力であったとも言える。18世紀末に入るとノルウェー人も海運業に参加する。ノルウェーの商船隊は、このクラスの先進国であるデンマーク、オランダを凌ぐ程となった。こうした事は、19世紀の海運立国としてのノルウェーの下地を築く事となった。 しかし、1800年にロシア帝国の誘いを受けて武装中立同盟に参加した事は、デンマークの海運帝国に斜陽の時代をもたらした。デンマークはイギリス帝国と袂を分かち、1801年と1807年にイギリス艦隊の侵攻を受け、デンマーク艦隊は撃破された。その後デンマークはフランス帝国と同盟を結び、ナポレオン戦争の敗戦国となった。その結果ノルウェーを失い、デンマークの海外領土はイギリスに占領された。艦隊も没収され、海上貿易も失った。以後デンマークの海運は、以前の輝きを失い、海外植民地は1917年までにアメリカ合衆国、イギリスに売却された。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「デンマーク海上帝国」の詳細全文を読む
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