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デンマーク王位継承順位では、デンマークの王位継承権者の序列について述べる。現行の王位継承は、男女の別のない長子相続制を採用している。 == 概要 == === 1953年の継承法 === デンマークの王位継承法は、1853年以降に改正されて以降、グリュックスブルク王朝の始祖クリスチャン9世王の男系男子の直系子孫に広く王位継承権を認めてきた。しかし100年後の1953年3月27日に行われた継承法の改定により、王位継承資格を保有する要件は大幅に変更された。 血統上の資格要件では、クリスチャン9世の孫にあたるクリスチャン10世王とその妻アレクサンドリーヌ王妃の直系子孫のみに王位継承権が限定された。これに伴い、王位継承資格はクリスチャン10世の2人の息子、フレゼリク9世王とその弟クヌーズ王子、及び彼ら兄弟の子孫にしか認められなくなった。ただし、改正によって継承権を失った王族たちは、その後もデンマーク王族としての称号を保持することを許されていた。王位継承権を持つ王族とそうでない王族を区別するため、王位継承権者の王族は特に「''Prins/esse til Danmark''」と称すると定められ、王族の称号を持つが継承権者の列から排除された者はそれまで通りの「''Prins/esse af Danmark''」を使用するとされた。 性別上の資格要件では、以前は伝統的なサリカ法に基づいて男系男子に限定されていたが、1953年の法改正では男子・男系優先だが女子・女系継承を容認する長子相続に変更された。法改正では、現国王に男子がない場合は、国王の弟などの傍系男子よりも、国王の女子に王位継承の優先権を認めていた。これにより、当時の国王フレゼリク9世の推定相続人が弟のクヌーズ王子から、国王自身の長女マルグレーテ王女(後のマルグレーテ2世女王)に変更された。 当時、国王に3人の娘しかいなかったのに対し、王弟クヌーズ王子には2人の息子(と娘1人)があり、仮に継承資格を男系男子に限定したままでも、王統の存続が危機的な状況に陥るとまでは言えなかった。しかしクヌーズ王子はフレゼリク9世に較べると人気が非常に低かった。不人気の原因の1つには、王子の姑であり、王子の子供たちの外祖母にあたるヘレーネ・エーゼルハイト王女が、第2次世界大戦中のナチス・ドイツによるデンマーク占領統治の時代に、対独協力者として国民の反感を買っていたことがあった。こうした国民感情と、男系男子への固執を時代遅れだと見なす風潮の強まりが、女子継承の容認につながった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「デンマーク王位継承順位」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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