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デヴィッド・ブルース : ウィキペディア日本語版
デヴィッド・ブルース

サー・デヴィッド・ブルース(Sir David Bruce KCB, 1855年5月29日 - 1931年11月27日)はスコットランド病理学微生物学者であり、イギリス陸軍軍医監マルタ熱アフリカ睡眠病の研究で知られており、それぞれの病原体である''Brucella melitensis''と''Trypanosoma brucei''は彼が発見したことにちなんで命名されている。
==生涯==
1855年、オーストラリアメルボルンに生まれる。一家は1850年代初頭に、金鉱へ砕石工場を立ち上げるためにエジンバラからやってきたのだが、デヴィッドが5歳のときにスコットランドへ戻った。デヴィッドはスターリング高校で学び、鳥類学にのめり込んでユキホオジロの生態の研究をしたりしていた。14歳のとき一旦はマンチェスターの倉庫会社で働きながらプロのアスリートを目指したが、17歳で肺炎にかかって挫折し勉学に戻ることになる。1876年エディンバラ大学に入学し動物学を志すが、1年が経過したとき友人に説かれて医学に転向する。
1881年に卒業すると、イングランド南部のReigateでわずかな期間だけ一般開業医となり、医院の娘Mary Elizabeth Steeleと出逢う。すぐにNetleyの陸軍軍医学校に入ったが、1883年にMaryと結婚する。彼女は画才があり顕微鏡像の描画という形で終生にわたる共同研究者となった。彼が生涯に遺した172篇の論文のうち、30篇以上に彼女の名前が記されている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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