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デーブ・ヘンダーソン : ウィキペディア日本語版
デーブ・ヘンダーソン

デーブ・ヘンダーソンDavid Lee "Dave" Henderson , 1958年7月21日 - 2015年12月27日)はアメリカメジャーリーグで活躍した元野球選手。
外野手。右投右打。アメリカ合衆国カリフォルニア州出身。
ニックネームは「Hendu」。
== 人物・来歴 ==
ドラフト会議で、その年に創設されたシアトル・マリナーズから1巡目(全米26位)で指名され、入団。マイナーでのプレイを経て、4月9日にメジャーデビューを果たす。
シーズン後半にはレギュラーを獲得。ただし、当時マリナーズはチーム創設以来低迷を続けていた。
シーズン後半に、当時ア・リーグ西地区最下位のマリナーズから、東地区で首位に立っていたボストン・レッドソックスに移籍。共に移籍したスパイク・オーエン共々レギュラーとなり、地区優勝に貢献。
カリフォルニア・エンゼルスとのア・リーグチャンピオンシップシリーズでは、レッドソックスは第1戦、第3戦、第4戦と敗れて後のない状態で第5戦を迎えた。第5戦(アナハイム・スタジアム)もエンゼルスに2-5とリードを許したまま9回表、レッドソックス最後の攻撃を迎える。
エンゼルス先発のマイク・ウィットは2アウトを取ったが、レッドソックスはドン・ベイラーの2ランホームランで2点を返し、さらに代わったゲーリー・ルーカスからリッチ・ゲドマンが死球で出塁。
ここでエンゼルスはリリーフエースのドニー・ムーアをマウンドに送る。
打席に立ったヘンダーソンは2-2と追い込まれるが、ムーアが投じたフォークボールレフトスタンドに逆転の2ランホームランし、6-5と逆転する。
9回裏にエンゼルスが同点においつき、延長戦となったが、延長11回にヘンダーソンの犠牲フライでレッドソックスを勝利に導いた。
これでシリーズの流れが変わり、第6戦、第7戦もレッドソックスが勝ってワールドシリーズ進出を決めた。
ニューヨーク・メッツとのワールドシリーズでは、レッドソックスが3勝2敗と王手をかけたシェイ・スタジアムでの第6戦では、同点の延長10回に勝ち越しのホームランを打つが、チームはその裏に同点に追いつかれたあと、ビル・バックナーのトンネルエラーで逆転負けを喫する(同項参照)。
第7戦にも敗れ、ワールドチャンピオンは逃した。
翌にはやはりナ・リーグ西地区優勝を争うサンフランシスコ・ジャイアンツにシーズン途中で移籍。
チームはチャンピオンシップシリーズでセントルイス・カージナルスに敗れてワールドシリーズ進出はならず、ヘンダーソンは年間通じて打率.234と不振だったため、シーズン終了後に退団する事になった。
翌にオークランド・アスレチックスに移籍すると、その年は146試合出場で、打率.304、24本塁打、94打点、100得点、長打率.525、二塁打38と多くの部門で自己最高の大活躍。大ベテラン、ドン・ベイラーデーブ・パーカーの不振もあって、マーク・マグワイアホセ・カンセコの後ろの5番を任された。
この年からチームは3年連続でワールドシリーズに進出。この年はロサンゼルス・ドジャースに敗れる。
は、打撃不振に陥ったが、ドン・ベイラーの移籍、ホセ・カンセコの長期離脱もあって、引き続き、マーク・マグワイア、復活したデーブ・パーカーの後ろを打った。また、5年ぶりに古巣復帰したリッキー・ヘンダーソンとの左中間コンビは鉄壁の守りを誇った。この年はサンフランシスコ・ジャイアンツとのワールドシリーズに勝利し、ワールドチャンピオンとなった。
1990年のワールドシリーズシンシナティ・レッズに4連敗で敗れる。
には自己最多の25本塁打を放ち、ファン投票での選出でオールスターに出場。
チームメイトリッキー・ヘンダーソンの2番で先発出場を果たした。
は膝の故障で20試合の出場に終わるが、に20本塁打を打ちカムバック。
この年限りでカンザスシティ・ロイヤルズに移籍し、限りで現役を引退。
5回の地区優勝、3回のリーグ優勝で出場したポストシーズンシリーズ(ワールドシリーズ及びチャンピオンシップシリーズ)の通算成績は.298、7本塁打、20打点、24得点、長打率.575である。レギュラーシーズンの打率.258、長打率.436と比べれば別人のような強打を発揮していた。
叔父のジョー・ヘンダーソン1946年生まれ)は投手で、にシカゴ・ホワイトソックスでメジャーデビューし、・77年のシンシナティ・レッズと併せて16試合に登板。3勝2敗、防御率6.69の成績を残している。
2015年12月27日、心臓発作のため死去〔デーブ・ヘンダーソン氏死去 アスレチックス黄金時代を支える スポーツニッポン 2015年12月28日閲覧〕。。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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