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トップクラフトは、かつて存在した日本のアニメーション制作会社。1972年に東映動画出身の原徹が設立し、1985年にスタジオジブリへ改組される形で、発展的に解散した。アニメ映画『風の谷のナウシカ』で知られる。 == 概要 == 創立者の原徹は東映動画で製作管理の仕事を担当した人物。1966年に東映動画は、アメリカのビデオクラフト・インターナショナル社と、アメリカABCテレビで放送するテレビアニメ『キングコング』と『1/007親指トム』の合作契約が締結し、原は東映動画側の制作担当プロデューサーを務めた。原は、アニメ映画『太陽の王子 ホルスの大冒険』、テレビアニメ『もーれつア太郎』『さるとびエッちゃん』『魔法のマコちゃん』『アパッチ野球軍』の制作担当を経て、制作課長を務めた東映動画から独立。 1972年に、日米合作を目的とした制作会社トップクラフトを設立して、代表取締役社長に就いた。合作のパートナーはアメリカのアーサー・ランキン・Jr.(Arthur Rankin Jr.)とジュース・バス(Jules Bass)のランキン・バス・プロダクション。東映動画時代に合作を依頼されたビデオクラフト・インターナショナルはランキン・バス・プロダクションの関連会社であった。 トップクラフトは、制作・演出・作画・仕上・撮影を有し、美術を除いた全ての部門を揃え、ランキン・バス・プロダクションの発注により、1年に1本のペースでアメリカの3大ネットワーク(当時)のABCテレビ、CBSテレビ、NBCテレビにて作品が次々と放送されていった。合作作品を主にしたが、一方で日本向けのアニメにも元請けや下請けで参加している。広告代理店の博報堂には原徹の東映動画時代の同僚である白川大作が在籍しており、これが博報堂製作のテレビアニメ『コアラボーイ コッキィ』(1984年~1985年)や、徳間書店と博報堂の共同製作によるアニメ映画『風の谷のナウシカ』(1984年公開)の制作へと繋がっていった。コマーシャルアニメも受注している。 『風の谷のナウシカ』の制作は、監督の宮崎駿が当初制作拠点として考えていた古巣のテレコム・アニメーションフィルムに余裕がなく断られたため、トップクラフトに白羽の矢が立ったものである。前述の博報堂との関係の他、原徹は東映動画時代に『太陽の王子 ホルスの大冒険』の制作を通じて、監督の宮崎駿、プロデューサーの高畑勲とは旧知の仲であった。『風の谷のナウシカ』は成功を納め、これにより、徳間書店のアニメ事業への進出を決意させることになった。1985年にアニメ映画『天空の城ラピュタ』(1986年公開)制作のために、徳間書店の出資によりスタジオジブリが設立。原徹はこれに取締役として参加することとなり、トップクラフトはスタジオジブリへと改組する形で解散。『風の谷のナウシカ』の後、博報堂の製作で作った日本向けテレビアニメシリーズ『コアラボーイ コッキィ』を最後に13年の活動に終止符を打った。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「トップクラフト」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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