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トミスラヴ・イヴコヴィッチ(、1960年8月11日 - )は、ユーゴスラビア出身の元同国代表サッカー選手、指導者。現役時代は上背と長い手足を生かし、ハイボールに強いゴールキーパーとして活躍〔木村、p.295-296〕。1980年代後半からユーゴスラビア代表の正ゴールキーパーを務め、連邦崩壊後はポルトガルリーグのクラブを渡り歩いた。 == 経歴 == === クラブ === イヴコヴィッチは1978年にディナモ・ザグレブでプロとしてのキャリアをスタートさせた。1982年にミロスラヴ・ブラジェヴィッチ監督と衝突してディナモを退団〔木村、p.295〕。半年ほどディナモ・ヴィンコヴィツィに籍を置いた後、1983年にレッドスター・ベオグラードへ入団した。 1985年オーストリアのFCチロル・インスブルックへ移籍。1988年に退団した後、ヴィーナーSC、KRCヘンクを経て、1989年にポルトガルのスポルティングCPへ移籍した。移籍初年度のUEFAカップ・SSCナポリ戦では、当時ナポリに所属していたディエゴ・マラドーナに対し「PKが決まったら100ドルやる、止めたら100ドルよこせ」と話しかけ、動揺したマラドーナはPKを外したというエピソードが残っている〔木村、p.296〕。 スポルティングで4シーズン過ごした後、GDエストリル・プライア、ヴィトーリアFC、CFベレネンセス、UDサラマンカ、CFエストレラ・アマドーラと渡り歩き、1998年に38歳で引退した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「トミスラヴ・イヴコヴィッチ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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