|
トミー・エイジー(Tommie Lee Agee , 1942年8月9日 - 2001年1月22日)はアメリカ・メジャーリーグで活躍した野球選手。外野手(主に中堅手)。右投右打。アメリカ合衆国アラバマ州マグノリア出身。1969年のワールドシリーズでのメッツ初優勝(「ミラクル・メッツ」)に貢献した。 == 人物・来歴 == 大学野球で活躍し、クリーブランド・インディアンスと契約。9月14日にメジャーデビューしたが、毎年10試合前後の出場に終わって限りでシカゴ・ホワイトソックスに移籍。も10試合の出場に終わったが、にはレギュラーに定着して160試合に出場。打率.273、本塁打22、打点86、盗塁44の活躍でア・リーグ新人王とゴールドグラブ賞を受賞。オールスターにも出場した。ホワイトソックスはまで在籍し、6選手が絡む交換トレードでにはニューヨーク・メッツに移籍。 1968年は開幕から34打数ノーヒットの大不振で打率.217、わずか17打点に終わったが、には、ツー・プラトン・システムが採用されて固定されたレギュラーの少ないチームにあって「一番・センター」に定着。149試合に出場して打率.271、本塁打26、打点76、得点97の活躍でチームの球団史上初のリーグ優勝に貢献。ボルチモア・オリオールズとのワールドシリーズでは、1勝1敗で迎えた第3戦で初回先頭打者本塁打を放ち、さらに2つの超ファインプレーで5得点を防ぎ、チームを勝利に導く。メッツはそのまま第4戦、第5戦に勝って、大方の予想を覆してワールド・チャンピオンに輝いた(ミラクル・メッツ)。には打率.286(自己最高)、24本塁打、75打点、31盗塁、107得点の活躍で自身2度目のゴールドグラブ賞を受賞。また、同年7月6日にはサイクルヒットを達成した。 以後は徐々に下降し、にはヒューストン・アストロズ、同年途中にはセントルイス・カージナルスに移籍し、その年限りで現役を引退。なお、メジャー通算安打は999であった。引退後はシェイ・スタジアム近くでラウンジを経営していたが、2001年1月22日に心筋梗塞のため死去。に、メッツの殿堂入りを果たした。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「トミー・エイジー」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Tommie Agee 」があります。 スポンサード リンク
|