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トミー・アルドリッジ(Tommy Aldridge 1950年8月15日 - ミシシッピ州ジャクソン出身〔allmusic.comバイオグラフィ 〕)はアメリカのHR/HMドラマー。 ブラック・オーク・アーカンソー、パット・トラヴァース、オジー・オズボーン、ホワイトスネイク、ゲイリー・ムーア、テッド・ニュージェント、シン・リジィほか、数多くのHR/HMミュージシャンと共演している。 ビートルズ、クリーム、ジミ・ヘンドリックス、レッド・ツェッペリンなどに感化され、ジョー・モレロ、ジョン・ボーナムといったドラマーに影響を受けた。ヘヴィメタル界におけるツーバス奏者のパイオニアの1人でもある。 「ローリング・ストーン誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のドラマー」において44位。 ==キャリア== 1970年にブラック・オーク・アーカンソーに加入。1972年から1976年までの間に9枚のアルバムを発表し、アメリカを中心としたツアーなどで活躍した。 1978年から1981年までパット・トラヴァースのバンドに加入し、5枚のアルバムに参加したほか、1981年にはゲイリー・ムーアの『ダーティ・フィンガーズ(Dirty Fingers)』のレコーディングに参加(リリースは1983年)。 次いでオジー・オズボーンにスカウトされ、彼のバンドに加入。ランディ・ローズ、ルディ・サーゾらと組み、オズボーン初期のバンドの屋台骨を支えた〔1981年にリリースされたオジーのセカンド・アルバム『ダイアリー・オブ・ア・マッドマン』のライナーノーツ、スリーブ写真には既にアルドリッジの写真が掲載されているが、実際のプレイは全編前任者のリー・カースレイクのもの。1982年3月にローズが死亡したため、オズボーン、ローズ、アルドリッジのコンビネーションが音盤で聴けるようになるには、1987年の『トリビュート〜ランディ・ローズに捧ぐ(Tribute)』(1980年から1981年に収録されたライブ音源のコンピレーション)まで待たなければならなかった。〕。 オジー・オズボーン・バンドの音源では、1982年のライブ・アルバム『悪魔の囁き(Speak of the Devil)』、1983年のスタジオ・アルバム『月に吠える (Bark at the Moon)』のレコーディングに参加。『月に吠える』完成直後にオズボーンの妻シャロン・オズボーンの意向で解雇され、同アルバムのツアーにはカーマイン・アピスが後任として加入したが、ツアー途中でアピスは脱退。オズボーンはアルドリッジを呼び戻し、結局ツアーの後半はアルドリッジがプレイした。1985年に行われた「ロック・イン・リオ」(クイーン、ホワイトスネイクらとの共演)を最後にオジー・オズボーン・バンドを脱退。 1987年、デイヴィッド・カヴァデール率いるホワイトスネイクがリリースした『白蛇の紋章〜サーペンス・アルバス』収録の「スティル・オブ・ザ・ナイト(Still of the Night)」のミュージック・ビデオ撮影に参加した後、アルバムのツアーのためにカヴァデールにスカウトされ、同PVに出演したエイドリアン・ヴァンデンバーグ(ギター、元ヴァンデンバーグ)、ヴィヴィアン・キャンベル(ギター、元ディオ)、ルディ・サーゾ(ベース、元クワイエット・ライオット、オジー・オズボーン・バンド時代はアルドリッジの同僚)と共に、そのままホワイトスネイクのメンバーとなる。ホワイトスネイクは全米でブレイクし、アルドリッジは以降2年間に渡ってグループに在籍、1989年には『スリップ・オブ・ザ・タング (Slip Of The Tongue)』のレコーディングにも参加するが、この作品は商業的には前作ほどの成功を得られず、間もなくグループは解散した。 ホワイトスネイク解散後は、エイドリアン・ヴァンデンバーグ、ルディ・サーゾらと共にマニック・エデン(Manic Eden)を結成したほか、モーターヘッド、テッド・ニュージェントをはじめとした数多くのミュージシャンをサポート。1996年には、イングヴェイ・マルムスティーンの ''Carry on Wayward Son'' (カンサスのカバー)のミュージック・ビデオに、脱退したアンダース・ヨハンソンの後任として出演し、「インスピレーション・ツアー」にも同行した。 2002年からは、メンバーを一新したホワイトスネイクのツアーに復帰したが、2007年に脱退(現在は復帰している)。2007年から2009年まではスコット・ゴーハム、ジョン・サイクスらが再結成したシン・リジィのツアーに参加。2009年にはAC/DCのとイギリス・スタジアム・ツアーがアナウンスされたが、直前にアルドリッジが事故で鎖骨を骨折するアクシデントに遭い、このプランはキャンセルされた。 膨大な数のレコーディングやライブのほか、ドラム・クリニックの主宰や様々なイベントでの演奏にも意欲的で、1980年代前半から多忙なツアー、レコーディングの合間を縫って多くの仕事を手掛けている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「トミー・アルドリッジ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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