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トミー・クルーズ(Cirilo "Tommy" Cruz Dilan , 1951年2月15日 - )は、プエルトリコ出身の元プロ野球選手(外野手)。 兄にホセ・クルーズ(元ヒューストン・アストロズほか)、弟にヘクター・クルーズ(元読売ジャイアンツ)がおり、「クルーズ三兄弟」と呼ばれた。 == 来歴・人物 == に日本ハムファイターズに入団。来日1年目から打率.309、26本塁打、84打点の好成績を記録。翌もチームのリーグ優勝に貢献。には打率.348、29本塁打、96打点を記録し、ベストナインに選ばれる。同年のオールスターゲーム第3戦では、江川卓の「8連続奪三振」の8人目の打者となった。にも打率3割を記録したが、契約で揉めて退団となった。 在籍時は3番クルーズ、4番トニー・ソレイタ、5番柏原純一(柏原とクルーズは入れ替えで3・5番を務めた)のクリーンナップを組んだが、ソレイタや柏原は後にクルーズについて「私生活では良い奴であり、野球では一切、自分に妥協を許さなかった選手」と語っている。 顔面に死球を食らって大出血、担架と救急車で球場を後にしたこともある。しかし、顔を7針縫ったにもかかわらず、翌日の試合にスタメン出場し、猛打賞を記録した。当時の大沢啓二監督のお気に入りだったことも伝えられている。 メジャーリーグでは7試合出場にとどまったが、日本では実働6年間のうち退団する1985年までで4回も3割以上の打率を残し、さらに通算打率.310、通算120本塁打を打った。また、三振が非常に少ない打者であった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「トミー・クルーズ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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