|
トミー・ハース(Tommy Haas, 1978年4月3日 - )は、ドイツ・ハンブルク出身の男子プロテニス選手。フルネームは ''Thomas Mario Haas'' (トーマス・マリオ・ハース)というが、愛称の「トミー・ハース」という名前でツアーの公式サイトにも登録されている。シングルス自己最高ランキングは2位(2002年5月)。これまでにATPツアーでシングルス15勝、ダブルス1勝を挙げている。身長188cm、体重84kg。右利き、バックハンド・ストロークは片手打ち。 シドニーオリンピックシングルス銀メダリスト。マスターズ1000優勝1回準優勝1回。 == 選手経歴== 4歳からテニスを始め、11歳の時からアメリカの「ニック・ボロテリー・テニスアカデミー」に留学した。1996年にプロ転向。1999年の全豪オープンでベスト4に進出、準決勝でロシアのエフゲニー・カフェルニコフに敗れる。2000年のシドニー五輪で男子シングルスの銀メダルを獲得したが、この時の決勝で敗れた相手もカフェルニコフであった。2002年は全豪オープンで3年ぶり2度目の準決勝に進出したが、マラト・サフィンに敗れて再び決勝進出のチャンスを逃した。 2003年は右肩の手術などでほぼ1年全休を強いられたが、2004年は全米オープンでレイトン・ヒューイットとの準々決勝に進出し、世界ランキングを17位まで戻した。これにより、彼は2004年度の男子プロテニス協会「カムバック賞」(ATP Comeback Player of Year)を受賞する。2006年は好調なシーズンを送り、男子ツアーのシングルスで年間3勝を挙げた。この年は全米オープンで2年ぶり2度目のベスト8進出がある。 2007年の全豪オープンで、ハースは5年ぶり3度目のベスト4に進出したが、準決勝でチリのフェルナンド・ゴンサレスに 1-6, 3-6, 1-6 のストレートで完敗した。2月のアメリカ・メンフィス大会の決勝でアンディ・ロディックを下し、シングルス優勝を通算「11勝」とする。この年はウィンブルドンで初の4回戦進出があったが、3回戦の試合中に腹痛が悪化し、ロジャー・フェデラーとの試合に出場できなくなった(不戦敗)。 2009年6月、ハースは地元ドイツ・ハレ大会の決勝でノバク・ジョコビッチ(セルビア)を破り、2年ぶりとなるツアー12勝目を挙げた。この後、ウィンブルドンで初めての準決勝に進出する。ジョコビッチに2連勝した準々決勝の後、ハースは初進出の準決勝でフェデラーに 6-7, 5-7, 3-6 のストレートで敗れた。 2010年1月27日、ハースはアメリカ国籍の取得を認められた。男子ツアー公式プロフィールの説明では「ドイツとアメリカの二重国籍を保有している」となっているが、トーナメントにはドイツ国籍のまま出場している。 ハースは2010年に音楽プロデューサーのデイヴィッド・フォスターの娘である女優サラ・フォスターと結婚して1児がいる。 2012年のゲリー・ウェバー・オープンでは主催者推薦での出場から決勝に進出。フェデラーを 7–6(5), 6-4 で破り3年ぶりのツアー13勝目を挙げた。ハースがフェデラーに勝ったのは2002年全豪オープン以来10年ぶりでフェデラー戦の連敗を9で止めた。10月18日、通算500勝達成。現役ではフェデラー、ナダル、ヒューイットに次いで4人目。 2013年3月のマイアミ大会では4回戦で世界ランキング1位のジョコビッチを 6-2, 6-4 で破りベスト4に進出した。全仏オープンでは2009年ウィンブルドン選手権以来の4大大会シングルスでベスト8に進出した。35歳での4大大会ベスト8進出は2005年全米オープンのアンドレ・アガシ以来8年ぶりの快挙であった。準々決勝ではジョコビッチに 3-6, 6-7(5), 5-7 で敗れた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「トミー・ハース」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|