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トム・キャンディオッティ(Thomas Caesar Candiotti , 1957年8月31日 - )は、アメリカ合衆国・カリフォルニア州ウォールナットクリーク出身の元プロ野球選手。右投右打。ナックルボーラーとして有名な投手である。 == 経歴 == セントメリーズ大学時代にはオール・アメリカに選ばれるなどしたが、ドラフトにはかからずは独立リーグでプレーをした。だがオフに解雇され、翌にフリーエージェントとしてカンザスシティ・ロイヤルズ傘下へ入ることとなる。AAで終えたオフに、ルール5ドラフトでミルウォーキー・ブルワーズに移籍、はまずまずの結果を残していたが、ひじに痛みを感じトミー・ジョン手術を受けることとなった。その時点では術例が8件、復活したのはトミー・ジョンただ一人であったが、キャンディオッティは復活2例目となった。 ・は終盤にメジャーに昇格するが、元々技巧派ピッチャーであったこともあり限界を感じていた。ナックルを投げはじめたはマイナーで過ごし、10月には解雇された。 ナックルを物にするためウインターリーグで投げていた12月に、クリーブランド・インディアンスと契約。はインディアンスのローテーションに入り、チームトップの16勝をあげる。この年と翌はフィル・ニークロもインディアンスに在籍していたので、ローテーションにナックルボーラーが2人という珍しい状態であった。の6月27日、フラッグシップディールを行ったトロント・ブルージェイズにターナー・ウォードと共に移籍する。ア・リーグ東地区優勝には貢献したが、リーグチャンピオンシップシリーズでは2試合に登板し2敗と結果を出せず、チームもミネソタ・ツインズに1勝4敗で敗れた。 オフにフリーエージェントとなりロサンゼルス・ドジャースへと移籍する。ドジャーズでの6年間では通算防御率3.57であったが、打線の援護に恵まれず52勝64敗と負けが先行した。11月にはオークランド・アスレチックスへ移籍。2年目のは開幕から不調で解雇され、6月に古巣インディアンスと契約するがここでも調子は戻らなかった。翌はアナハイム・エンゼルスのスプリングトレーニングに参加するが、ロースターには入れず引退した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「トム・キャンディオッティ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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