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トム・ゴードン : ウィキペディア日本語版
トム・ゴードン

トム・ゴードンThomas Gordon, 1967年11月18日 - )は、アメリカ合衆国フロリダ州セブリング出身の元プロ野球選手投手)。右投右打。
ニックネームは「フラッシュ(Flash)」(アメリカの人気漫画「フラッシュ・ゴードン」から)。長男はマイアミ・マーリンズに所属するディー・ゴードン。次男はミネソタ・ツインズ傘下に所属するニック・ゴードン
== 経歴 ==
に、MLBドラフト8巡目でカンザスシティ・ロイヤルズから指名を受け、プロ入り。プロ3年目となるにメジャーデビューを果たした。1988年は5試合の登板に留まったが、15.2イニングで18奪三振を記録。は、先発とリリーフを併用され、17勝を挙げた。その後、までは先発、リリーフどちらもこなす投手としてロイヤルズで投げ続けた。
からボストン・レッドソックスでプレイ。1996年は自己最多の34試合に先発し、215.2イニングを投げたが、リーグワーストの134自責点を喫した。も先発投手として起用されたが、シーズン途中にクローザーのヒースクリフ・スローカムのトレード移籍に伴い、ジミー・ウィリアムズ監督はゴードンをクローザーとして起用することに。8月20日にシーズン初セーブを記録してから閉幕までに11セーブを記録。
にはオールスターに初選出を果たし、46セーブを記録し、最多セーブのタイトルを獲得。9月24日には4月19日からの42試合連続セーブでトレバー・ホフマンロッド・ベックのメジャー記録を更新。その後、連続セーブ記録は5月31日にかけて54まで伸ばした(エリック・ガニエが後に更新)〔。しかし、1999年はヒジの故障で21試合にしか登板できず、シーズン終了後の12月にトミー・ジョン手術を受けた〔。は1試合も登板せずにシーズンを終え、シカゴ・カブスへ移籍。
カブス及びヒューストン・アストロズでプレイしていた時期は、故障の影響などで満足な成績を挙げる事が出来なかったが、にシカゴ・ホワイトソックスに移ってからは復活。7月12日には史上14人目の100勝・100セーブを達成〔。同年オフにFAとなり、ニューヨーク・ヤンキースへ2年契約で移籍〔。
は開幕から前年オフに加入したポール・クアントリルと共に、マリアノ・リベラへ繋ぐセットアッパーとして活躍。自己最高の80試合に登板。も、リベラへのセットアッパーとして79試合に登板。同年オフにFAとなり、ビリー・ワグナーの後釜を探していたフィラデルフィア・フィリーズに3年1,800万ドルで移籍(4年目は球団オプション)。
は、前半戦で21セーブ、防御率2.17を挙げる活躍を見せ、オールスターに選出された。しかし、7月下旬に2試合連続で被弾、8月半ばには右肩痛のために故障者リスト入りを余儀なくされた。ゴードン不在の間は、マリナーズ・アスレチックス時代にクローザー経験のあったアーサー・ローズが代役を務めたものの、2連続でセーブに失敗するなど安定感を欠いた。
は右肩痛に悩まされ、開幕からの11セーブ機会中5度失敗と精彩を欠き、先発投手のブレット・マイヤーズがクローザーに転向したため、自身はセットアッパーに降格となった。その後、右肩の状態が悪化し、5月 - 7月中旬までDL入りと長期離脱を余儀なくされてしまう。
2月6日アリゾナ・ダイヤモンドバックスと1年契約。しかしほとんどの期間を故障者リストで過ごし、8月11日にダイヤモンドバックスから解雇された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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