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トム・ジンク : ウィキペディア日本語版
トム・ジンク

トム・ジンク"Z-Man" Tom Zenk、本名:Thomas Erwin Zenk1960年11月30日 - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラーミネソタ州ゴールデンバレー出身〔。
より原音に近いファミリーネームの表記は「ズィンク」だが、本項では日本のプロレス業界における慣例的な表記(日本語圏で一般によく知られている名前)を使用する。
== 来歴 ==
カート・ヘニングリック・ルードスコット・シンプソンバリー・ダーソウジョン・ノードらを輩出したロビンズデール・ハイスクールの出身〔。学生時代からボディビルに熱中し、後に "Mr. Minnesota" など数々のタイトルを獲得した〔。
ルードやシンプソンをコーチしたエディ・シャーキーにスカウトされ、1983年ビル・ワット主宰のMSWAにてデビュー〔『全日本プロレス 来日外国人選手 PERFECTカタログ』P65(2002年、日本スポーツ出版社)〕。1984年からはバーン・ガニアの牛耳る地元ミネソタAWAに登場、甘いマスクと肉体美を持つベビーフェイスの新鋭として、次代のスター候補と目された〔。
1985年より、太平洋岸北西部オレゴンワシントンをサーキット・エリアとするNWA圏のパシフィック・ノースウエスト・レスリングに参戦。1986年1月21日にボビー・ジャガーズからNWAパシフィック・ノースウエスト・ヘビー級王座を奪取した。同年下期からはカナダモントリオール地区(ジノ・ブリット主宰のインターナショナル・レスリング)に進出、11月には同地区のスターだったリック・マーテルのパートナーとして、全日本プロレス世界最強タッグ決定リーグ戦に初来日した。
以降も本格的にマーテルとタッグチームを結成し、翌1987年カンナム・コネクション(''The Can-Am Connection'')のチーム名でWWFに参戦。ハート・ファウンデーションブレット・ハート&ジム・ナイドハート)やドリーム・チーム(グレッグ・バレンタイン&ブルータス・ビーフケーキ)などヒールのトップチームと対戦し、3月29日のレッスルマニアIIIではカウボーイ・ボブ・オートン&マグニフィセント・ムラコから勝利を収めるも、契約のトラブルでジンクのみ短期間でWWFを離脱した〔。
その後は古巣のAWAに戻り、1989年2月7日にセントポールで行われたAWA世界ヘビー級王者決定バトルロイヤルにも出場。サージェント・スローターワフー・マクダニエルケン・パテラマイク・ジョージアキオ・サトーパット・タナカポール・ダイヤモンドマニー・フェルナンデスグレッグ・ガニアカーネル・デビアーズらを抑え、ラリー・ズビスコと優勝を争ったが、オーバー・ザ・トップロープで失格し戴冠は果たせなかった。
また、この間には全日本プロレスの常連外国人選手となり、1986年11月の初来日から1989年7月まで5回に渡って来日した(最強タッグには1987年大会にもザ・ターミネーターをパートナーに参加するなど、2年連続で出場している。1989年4月の来日時は大田区体育館にてダニー・クロファットと組み、サムソン冬木&川田利明フットルースが保持していたアジアタッグ王座に挑戦した)。
1989年末、当時まだNWAに加盟していた初期WCWに、Zマン(''Z-Man'')と名乗って登場。翌1990年1月30日にはジョージア州マリエッタにてリック・フレアーNWA世界ヘビー級王座に挑戦している。タッグ戦線ではブライアン・ピルマンとコンビを組み、1990年2月12日にトーナメント決勝でファビュラス・フリーバーズマイケル・ヘイズ&ジミー・ガービン)を破りUSタッグ王座を獲得。同年12月4日にはアーン・アンダーソンから世界TV王座を奪取している。翌1991年3月21日、WCWとの提携ルートで新日本プロレス東京ドーム大会に参戦。新日本には1992年10月にも来日し、ジム・ナイドハートと組んでSGタッグ・リーグ戦IIに出場した。
1993年リッキー・スティムボートドス・オンブレス(''Dos Hombres'')なる覆面タッグチームを一時的に結成し、5月23日にWCWの本拠地アトランタで行われたPPV "Slamboree" に出場、ヒールターンしたピルマンとスタニング・スティーブ・オースチンハリウッド・ブロンズが保持するWCW世界タッグ王座スチール・ケージ・マッチで挑戦した。
1994年の初頭にWCWを離れ、同年6月と9月には全日本プロレスに久々に登場(日本には通算9回来日)。以降はインディー団体を転戦し、1996年に引退した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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