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トラバースシティ(、 また)は、アメリカ合衆国ミシガン州ロウアー半島の北部グランドトラバース郡に位置する都市であり、同郡の郡庁所在地である。ただし、小部分がリーラノー郡に跨っている。北ミシガン21郡の中では最大の都市である。2010年国勢調査での人口は14,674 人だった。トラバースシティ小都市圏の人口は143,372 人だった。 トラバースシティの地域は国内で最大のチェリー生産地である。チェリーを収穫する頃である7月第一週には毎年、1週間続くサクランボ祭を開催しており、約50万人の観衆が集まってくる。周辺の田園部ではブドウも栽培しており、アメリカ合衆国中西部ではワイン生産の一大中心地である。夏も冬も観光業がもう一つの重要な産業となっている。清水の湖浜、ブドウ園、国立湖岸、スキー場、さらに多くの森があり、自然の景観に富んでいる。2009年、トリップアドバイザーは、国内観光地の小さな町で第2位にトラバースシティを挙げた。2012年、USニューズが、国内で引退して住む町10傑の中にトラバースシティを挙げた〔The 10 Best Places to Retire in 2012 〕。 == 歴史 == トラバースシティの名前は、グランドトラバース湾の最奥部にあることから採られた。この湾の名前は、18世紀のフランス人探検家が、グランドトラバース湾の湾口を「ラ・グラン・トラバース」すなわち、湾口全長を横切ったことから名付けられた。 1847年、イリノイ州ネイパービルのボードマン船長が、西グランドトラバース湾最奥部、ボードマン川河口の土地を購入した。船長ととその息子、さらに雇われた者達が河口近くに住宅と製材所を建設した。1851年、ボードマン家は製材所をハナ・レイ&Co.に売却した。ハナ・レイ&Co.はペリー・ハナ、アルバート・トレイシー・レイ、ジェイムズ・モーガンが所有する会社であり、その製材所を大きく改良した。製材所への投資が増えたことでさらに多くの開拓者をこの町に惹き付けることになった。 1853年時点で、グランドトラバース湾地域で唯一運営されている郵便局がオールドミッションにあるものであり、その後「グランドトラバース」と呼ばれるようになった。1852年、アルバート・トレイシー・レイがワシントンD.C.のアメリカ合衆国郵便公社で、新しい開拓地に新しい郵便局を設置する許可を得ることに成功した。その新しい開拓地が「グランドトラバースシティ」と呼ばれるようになったので、レイが郵便局にもその名前を提案したが、郵便公社の役人は、近くのオールドミッションにある郵便局との混同を避けるために「グランド」を落とすように提案した。レイが郵便局の「トラバースシティ」という名前に合意し、町もその名前を採用することになった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「トラバースシティ (ミシガン州)」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Traverse City, Michigan 」があります。 スポンサード リンク
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