|
トリス・スピーカー(Tristram E. Speaker、1888年4月4日 - 1958年12月8日)は、20世紀前半に活躍した野球選手。ポジションは外野手。テキサス州生まれ。左投げ左打ち。ニックネームは"Spoke"(スポーク)、"The Grey Eagle"(グレー・イーグル)。通算打率.344を記録し、外野守備にも優れた能力を発揮した。 == 人物・概要 == テキサス州ハバードに生まれ、現役時代はボストン・レッドソックス(1907年~1915年)、クリーブランド・インディアンス(1916年~1926年)、ワシントン・セネタース(1927年)、フィラデルフィア・アスレチックス(1928年)に所属。1937年に野球殿堂入りを果たす。 同時代に活躍したタイ・カッブの影に隠れながらも、通算打率.344を記録し、卓越した外野守備(中堅手)として1910年代の野球界を代表する選手の一人となる。1910年から1915年までボストン・レッドソックスでは左翼手のダフィー・ルイス、右翼手のハリー・フーパーと共に「100万ドルの外野陣」と呼ばれる鉄壁の外野守備を形成していた。特にスピーカーは抜群の打球の読みに裏打ちされた極端な前進守備をとっており、「センターゴロ」や「一人ダブルプレー」(ライナーを捕球してそのまま二塁に駆け込む)を何度も行ったという。外野手補殺数450は歴代1位の記録であり、1909年と1914年には、中堅手でありながら12もの併殺を取っている。 通算792二塁打は史上1位であり、8シーズンにわたって二塁打数1位を記録する。1919年から1926年には監督も兼任。1920年には選手兼監督としてインディアンスのワールドシリーズ制覇を実現する。22年間の現役生活で通算3515安打を記録する。また映画『The Ninth Inning』(1942年)、『The Kid from Cleveland』(1949年)に出演。 1958年にテキサス州レイク・ホイットニーにて死去。。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「トリス・スピーカー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|