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『トリッチ・トラッチ・ポルカ』()作品214は、ヨハン・シュトラウス2世が1858年に作曲したポルカである。 ヨハン・シュトラウス2世は1856年より16年にわたって、夏半期はツァールスコエ・セロー市に所在地を置く鉄道会社がオファーする、高収入を見込める話に応じて、ロシア帝国の首都であったサンクトペテルブルク市近郊のパヴロフスク市でコンサート活動をした。ここでシュトラウスは、オルガ・スミルニツキーを熱烈に慕うのだが、彼女の家族が結婚に反対する。当時のサンクトペテルブルクやその近郊は、貴族階級や裕福なヨーロッパ人の避暑地のひとつであったので、パヴロフスクでのコンサートによって、シュトラウスは世界的に有名になった。しかし「ジャン」と愛称で呼ばれていたシュトラウスの恋も、遠いウィーンでゴシップとなっていた。冬半期にウィーンに戻ったシュトラウスは、街角で人々が「シャン」「シャニ」(ヨハンのフランス風呼び名Jean、ウィーンでは無声音になりシャン、愛称化するとシャニ)の恋をうわさするのを聞く。 ウィーンには当時、''"Tritsch-Tratsch"'' という著名人のうわさを掲載した雑誌があった。この題名は、ウィーンで活躍したビーダーマイヤー作家であり、今日でもブルク劇場などで作品が上演され続けている劇作家の戯曲 ''"Der Tritschtratsch"'' を借りたものである。トラッチ(Tratsch)はうわさを意味するドイツ語で、トリッチ・トラッチ(Tritschtratsch)と並べることで音遊び感覚になる。 シュトラウスは街角の「うわさ」「おしゃべり」を歌うポルカを作曲し、雑誌を揶揄してその題名を冠した。 鉄道会社の所在地ツァールスコエ・セロー市は現在のプーシキン市であり、当時ロシア皇帝一家の夏宮殿だったエカテリーナ宮殿の所在地である。ロシア皇帝の避暑地であったために、貴族や裕福な市民階級が集まる避暑地ともなった。 この曲の雰囲気は、多くのヨハン・シュトラウス2世のポルカと同じく、軽快で威勢が良い。なおシュトラウス2世の最初の妻ヘンリエッタ・トレフツが飼っていたプードルもまた「トリッチ・トラッチ」という名であった。もともとは合唱つきで、ウィーン少年合唱団などのレパートリーとして残っているのはその名残である。 日本においては、小学校の運動会で比較的よく流される曲であり、知っている人も多い。 == 脚注 == *Peter Keuschnig著 『Johann Strauß (Sohn) 』2000年11月7日(オーストリア、ウィーン、オーストリア航空のための書き下ろし) * ペーター・コイシュニック * ウィーン少年合唱団 category:ヨハン・シュトラウス2世の管弦楽曲 category:ヨハン・シュトラウス2世のポルカ 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「トリッチ・トラッチ・ポルカ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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