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トーヨーシアトルはアメリカ合衆国生産・日本調教の競走馬。主戦騎手は松永昌博。 ※馬齢は現表記(満年齢)にて記す。 == 来歴 == 2歳秋に京都競馬場・芝コースで行なわれた新馬戦に勝利するが、それ以降は苦戦が続き、3歳冬までの戦績は芝コースばかりで12戦2勝と芳しいものではなかった。 そこで陣営はダート戦に照準を切り替え、12月に中京競馬場で行なわれた「矢作川特別(900万下特別戦)」に出走。すると2着のセタノキングに3馬身1/2の差を付ける圧勝。勢いに乗って2週間後に格上挑戦で臨んだウインターステークスでは後に重賞戦線でライバルとなるデュークグランプリに3馬身差を付け優勝。ダートコースでの適性を確信した陣営はこれ以降、全てのレースをダート戦とした。 4歳になったシアトルは平安ステークスに挑み、シンコウウインディと同着で1着となるものの3連勝(重賞での同着1着は1988年の阪神大賞典以来)。そしてGIIからの格上げで「JRA初のダートGI」として施行されたフェブラリーステークスは不良馬場でのレースとなってしまい11着と大敗する。以降はこの年から始まった地方競馬でのダートグレード競走への出走が続くが勝ちきれないレースばかりとなってしまった。 ようやくトンネルを抜けたのは4歳11月、名古屋競馬場での東海菊花賞(統一GII)であった。このレースでは既に東京大賞典などに勝っているキョウトシチーに3馬身差で勝利。続く東海ウインターステークス(前年のウインターステークスから改称)ではアブクマポーロに2連覇を阻まれる。 そして大目標であった年末の東京大賞典(大井競馬場、統一GI)ではアブクマポーロ・キョウトシチーらを直線でちぎり見事優勝。鞍上の松永は騎手生活21年目で初のGI制覇となった。これをきっかけにシアトルは1997年度ダートグレード競走最優秀馬を受賞した。なお東京大賞典はこの年まで2800mで行なわれていたが、翌年から2000mに短縮されることとなる。 5歳のシアトルは6戦するが川崎記念・オグリキャップ記念でそれぞれ3着に入ったのが最高。結局この年の12月に現役を引退した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「トーヨーシアトル」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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