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ドイッチュラント級装甲艦(Deutschland-Klasse)級は、ドイツ海軍が第一次世界大戦後、退役艦の代替艦として初めて就役させた1万トン超の軍艦。ドイッチュラント Deutschland (後にリュッツォウ Lützow)に改称、アドミラル・シェーア Admiral Scheer 、アドミラル・グラーフ・シュペー Admiral Graf Spee、の三隻が建造され、大戦初期に対英戦で通商破壊に活躍した。戦艦並みの砲備と巡洋艦並みの速力を有し、ディーゼル機関の採用で長大な航続力を得た。 ==開発経緯== === ポケット戦艦 === 第一次世界大戦の敗戦により、ドイツにはヴェルサイユ条約下で軍備制限が課せられた。戦闘艦の新造も制限され、旧式戦艦の代艦に限って、1921年以降「基準排水量1万トン以下で主砲口径も28cmまで」の“装甲を施した軍艦”の建造が認められたことにより本級はその制限枠一杯を利用している。ドイツ海軍は戦艦などと称して他国の疑念を招かないように、ヴェルサイユ条約の条文の仏語記載にある''Cuirassé''(装甲艦)を独語に訳した''Panzerschiff''という類別名を用いて本級を建造した。この目新しい艦に対して、英国の新聞記者は「ポケット戦艦(''Pocket battleship'')」とあだ名し、旧日本海軍でも「ポケット戦艦」の名称が用いられた〔「列国海軍造艦術進歩の現状」p.3〕。当時の日本では一般に「豆戦艦」あるいは「袖珍(しゅうちん)戦艦」として紹介された〔『世界の艦船増刊 ドイツ戦艦史』P105〕。 このように海外では「戦艦」の名が冠せられたものの、実態は、火力はともかく防御力は重巡洋艦並み、速度はそれ以下といえる程度の艦型であった。1934年予算で承認されたドイッチュラント級4番艦の仮称「装甲艦D(''Panzerschiff D'')」は、防御力を十分なものに強化した結果,19,000トンにまで拡大してしまった(シャルンホルスト級戦艦を参照)。 本級の艦種は1939年11月から1940年2月にかけて''Panzerschiff''(装甲艦)から''Schwerer Kreuzer''(重巡洋艦)に変更された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ドイッチュラント級装甲艦」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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