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ドゥブロヴニク地震[どぅぶろぶにくじしん] ドゥブロヴニク地震(どぅぶろぶにくじしん)〔力武常次 監修『近代世界の災害』、国会資料編纂会、1995年、ISBN 4-906474-04-7.〕は、1667年にラグーザ共和国(2016年現在はクロアチア)のドゥブロヴニクで発生した地震。「1667年ドゥブロヴニク地震」(クロアチア語: Potres u Dubrovniku 1667.)とも称される〔Dubrovnik: A History By Robin Harris 〕。 現代のクロアチア領内において、記録が残っている直近2400年間のうち、最も壊滅的であった二大地震のうちのひとつである。地震はドゥブロヴニクの全域を破壊し、約3000人が震災により亡くなった。〔Earthquake Monitoring and Seismic Hazard Mitigation in Balkan Countries by Eystein Sverre Husebye 〕 同市の教区司祭であったシモーネ・ゲタルディ(Simone Ghetaldi)も死亡、市内にあった建造物の4分の3以上が破壊された。 当時、ドゥブロヴニクはラグーザ共和国の首都であった。この大地震は、同共和国の終わりの始まりを暗示した。〔Between the Double Eagle and the Crescent: The Republic of Dubrovnik by Zdenko Zlatar 〕 == 脚注 ==
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ドゥブロヴニク地震」の詳細全文を読む
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