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ジュリアス・アービング(Julius Erving、フルネームはジュリアス・ウィンフィールド・アービング二世 Julius Winfiled Erving II、1950年2月22日 - )は、アメリカ合衆国の元バスケットボール選手。ニューヨーク州ローズベルト出身。マサチューセッツ大学出身。身長201cm体重98kg、ポジションはスモールフォワード。1960年代から1970年代に掛けてABA史上最高の選手の一人であり、NBA移籍後もフィラデルフィア・76ersで活躍。並外れた跳躍力から繰り出されるダンクシュートは"芸術品"と称され、"Dr.J"の愛称で一世を風靡した、バスケットボール史上屈指の名選手として知られる。 1971年にプロ入りして以降、引退するその年までの16年間、全てのシーズンでオールスターに選出され続け、ABA時代は得点王3回、シーズンMVP3回、プレーオフMVP2回、優勝2回、NBA時代はオールスターMVP2回、シーズンMVP1回、優勝1回の実績を誇る。 == 経歴 == === 生い立ちと学生時代 === 1950年2月22日、ニューヨーク州ローズベルトに生まれたジュリアス・アービングは、3歳の頃に父親が家族のもとを去ってしまったため、清掃員として働いた母親の手によって育てられた(父親はアービングが7歳の頃に暴行事件で殺害される)。内向的な幼少期を過ごしたアービングは、9歳の時に始めたバスケットボールに活躍の場を見出し、10歳の時には彼のチームを地域のチャンピオンシップに導いている。生涯呼ばれ続けることとなる"the Doctor"の愛称はこの頃に着けられ、アービングが彼の友人を"Professor"と呼んでいたことから、彼は"the Doctor"と呼ばれるようになり、後に"Dr.J"へと転じた。高校は地元のローズベルト高校に進学し、二度オールカンファレンスチームに選出されるなどの実績を残し、マサチューセッツ大学では2年間のプレイで平均26.3得点20.2リバウンドの成績を記録してNCAA史上数人しかいない平均20得点20リバウンド以上達成者となったが、当時のカレッジバスケではダンクが禁止されていたため、後にダンクアーティストとして名を馳せるアービングの才能が存分に発揮されることはなく、当時は全国的には無名の選手だった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ジュリアス・アービング」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Julius Erving 」があります。 スポンサード リンク
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