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ドグマ風見 : ウィキペディア日本語版
ドグマ風見[どぐま かざみ]

ドグマ風見(ドグマ かざみ、1978年10月11日 - )は、インターネットにて映像を配信するサービス「ニコニコ生放送」出身のネットタレント。最近はネタ半分もあるが、スーパースターストリーマー(略称SSS)を自称している。愛称は「ドグ兄」「ドグちゃん」。ドグマ風見のドグマについては、本来の意味やAVメーカーのドグマの方に由来する訳ではなく、どこかで見聞きしたその言葉の響きを気に入って、活動当初からハンドルネームとして使用している。
岐阜県岐阜市出身。

== 人物・略歴 ==
地元である岐阜市岐南工業高等学校を卒業後、名古屋のデザイン会社に就職。

順調に仕事を続けて行く中での2008年、“企画書X(エックス)"を手に友人ら4人で『してくべ(SITEQUBE)』を結成。

ファミコン世代ど真ん中の幼少期から好きだったゲームを核に、近年テレビでは見かける事が無くなったゲーム情報番組への思いと共に、インターネットでの動画制作・投稿をスタート。前述の思いそのままに作られたテレビ番組のような動画は、同世代のみならず好評を博す。


そのクオリティを維持するため、投稿間隔は不定期ではあったが順調に制作活動を展開。しかし、そんな中での2009年、10年間勤めていたデザイン会社が倒産。その事は登場時の一言だけではあるが、動画の中で語っている。なお、その後はTV制作会社に勤めつつ制作活動を継続する。

ちなみに、そのTV制作会社でカメラ等放送機材の扱い方を学ぶと共に、出入りしていたテレビ局・番組のロケで放送業界に携わる者としての心構えを学ぶ。


そうした活動を続けていき、2010年4月には動画視聴者からの勧めもあり、動画投稿をしていたニコニコ動画の生放送サービス通称『ニコ生』において活動を開始。メンバーのスケジュール、撮影のコスト等を考慮し、徐々に1人での生放送に活動をシフト。

生放送を始めてからは毎晩毎夜での放送を続けるだけでなく、年に2回の24時間生放送などで着実にファンを増やしていき、2012年1月には『60時間ぶっ通し!ゲーム『ダークソウル』を全部クリアするまでお正月は終わらないぞ生放送!』で念願だったニコ生公式放送に初登場。その放送での立ち振る舞いが視聴者のみならずスタッフにも好評を得ると、『お疲れ超会議! ゲーム『ロックマンシリーズ』30時間ぶっ通し!クリアまで終わらない生放送!』では演者だけではなくディレクションも担当。公式放送での人気を着実に築いていき、ゲーム実況以外の番組にも呼ばれるようになる。

ちなみに、公式放送ではMCからイジられ役と幅広くこなすが、最近は多人数での放送になるとイジリ・ツッコミ側に回る事が多い。

公式放送出演が増える中でも個人放送の手を緩める事は無く、通常の長時間チャレンジに加え、個人放送としては異例のメーカー公認放送(いっき おんらいんアサシン クリード)を実現する。


2013年、自らの生放送と共に公式放送での出番も順調にこなし、3月にはテレビ東京との連動番組『ドリームクリエイター(以下ドリクリ)』内の企画において番組レギュラーを勝ち取ると共に、テレビ番組での初レギュラーも獲得。夏に行われた『ニコニコ町会議全国ツアー』ではMC(ムチャブリチャレンジャー)として参加。さらに9月には常々口にしていた念願の『東京ゲームショウ』にも出演。こうしてこの年は元旦の初日の出中継に始まり、年末の年越しのテレビ実況と、公式放送で始まり公式放送で締める(※テレビ実況は年明けまで続行)という形で1年を終了。それを象徴するように、公式放送出演本数は2012年の29本から109本と大幅に増加。なおそういう事情もあり、地元岐阜との往復による負担軽減のため、東京で部屋を借りるという転機もあった。

ちなみに、若い層を中心に呼ばれる『ドグ兄』という愛称は、ドリクリでも共演し、町会議でも一緒に全国を回った盟友的存在である「百花繚乱」が呼んでいた事から広まったものと思われる。

個人放送においては、昨年の公式放送出演により広げた交友の輪を頼りに積極的に声を掛けてゲストとして招き、さらには個人での放送を通じて築いた人脈を頼りにゲーム制作者の方々もゲストに招き、公式放送さながらの放送を展開。恒例の夏のSPでは78時間(放送時間は65時間)に及ぶ放送を完遂。なお、その放送の後にスタジオの防音改装工事を行い、防音と共に全面グリーンバックとなったスタジオを、冬のSPで初披露する。


2014年、出演本数は年間145本と昨年からさらに増やす活動を見せる。そんな中、2月には新たなレギュラー番組『アニぱら音楽館nico(仮)』がスタート。同じくレギュラーを務めるドリクリの後継番組『つくり場』ではCDデビューとさらなる活躍が期待されたが、番組の方は惜しまれつつ3月いっぱいで終了。それと共にTV番組のレギュラーも失うが、4月にはWOWOW『金曜カーソル』に出演。以降、番組終了となった9月まで隔週ペースで出演し、ニコ生で楽屋放送をしたりと番組の盛り上げに一役買う。

ニコニコ関連のイベントでは、昨年に引き続いての町会議MCだけでなく、超パーティーでもMCとして参加。両方共に“ドグマ風見らしく"やり遂げる。

そんな中、個人放送では4月に念願の個人チャンネルを開設。著作権等の都合もあり、当初は有料無料に関わらずトークメインの放送を行っていたが、11月の『D4: Dark Dreams Don't Die』チャレンジでゲーム実況放送を開始。12月の『ロマンシング サ・ガ3』チャレンジで、チャンネル放送の特権でもある24時間枠での放送を初めて敢行する。ちなみにゲーム実況放送は全編無料で行っている。

そして2月には新たな試みとして、YouTubeのチャンネル『ドグチューーブ』を開設。前年秋より生放送のアーカイブ収録でYouTubeを利用していたが、生放送にシフトして以降滞っていた動画制作も再開。ただ、多忙という事もあって以前のような作り込んだものではなく、基本的に「撮って出し」に近いスタイルでの動画となる。なお、後に『ドグチューブゲームズ』を開設し、アーカイブ等ゲーム実況動画はそちらにて投稿するようになる。

そんな中での個人放送は、月1回のペースで長時間ゲーム放送を行い、恒例の夏のSPでは68時間という昨年を上回る放送時間を達成。さらに年末のSPでは54時間、それだけでなく7月には『ファイナルファンタジーV』のチャレンジで56時間、前述にもある『ロマンシング サ・ガ3』では57時間の放送を行うがその反面、長時間放送のプレミア感は若干薄れてしまう。ちなみに、そんな感じでの個人放送と公式放送の出演時時間の合計は、2014年だけで1,000時間超となる。


2015年、年明けから前年を上回るペースで公式放送に出演。そんな中でも個人放送では月1定期の長時間放送を行う。3月には前年秋からレギュラーを務めた『ドグキヨのガルでボアボアいかせて』が終了。余談だが、その最終回ロケで家がばれてしまい、1年半ほど過ごした東京の拠点からの引っ越しを余儀なくされる。
ニコニコ超パーティーでは、新しく作られたゲーム実況ステージのMCを務めた。
7月末、高橋名人と『ルミナスアーク インフィニティ』実況プレイ動画を公式公開。
ユーザー生放送においては、忙しいタレント活動の合間を縫って“1回の長時間生放送”を目標に放送を行う。そんな中での恒例の夏の長時間SPでは、これまでの1放送回での完結ではなく、前・中・後編の3放送回に跨いでの放送を行い、その放送時間はトータルで125時間超に及んだ。ちなみに、後編においては72時間27分という、1放送回での放送時間の自己記録を更新した。なお、9月はその長時間SPでの様々な反動があり、“月1回”を目標にしていた長時間放送を行うことができなかった。
11月、これまでに生放送内では度々口にしていた本名をツイッター上で正式に公開。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ドグマ風見」の詳細全文を読む



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