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ドゴール主義 : ウィキペディア日本語版
ド・ゴール主義[どごーるしゅぎ]

ド・ゴール主義またはゴーリスム: )とはシャルル・ド・ゴールの思想と行動を基盤にしたフランス保守派政治イデオロギーのことであり、転じてフランス以外の国家における単独主義的ナショナリズムをも(しばしば批判的な文脈で)指し示す用語である。イデオローグ達は「ゴーリスト」と呼ばれ、これは彼の姓であるド=ゴール(フランス語:de Gaulle)に由来するが、ゴール(ガリア)はフランス地域の古名であるため「フランス(至上)主義」と解釈することも可能である。
ド・ゴール主義の最も大きな主張は外国の影響力(特に)から脱し、フランスの独自性を追求することである。また、ド・ゴール主義は哲学的な形で社会や経済にも言及しており、政府が積極的に市場や経済に介入することを志向する。
== 思想 ==

=== 外交 ===
ド・ゴールの国際政治における主要な主張は国家の独自性であり、その思想の実践としてNATO欧州経済共同体 (EEC) のような国際組織に対して、ある程度反対の立場を取った。その基本的な信条は、「フランスの存続のためにフランスは外国に依存すべきではなく、フランスはいかなる外国の圧力に対しても従属すべきではない」というものだった。
この信条に基づき、ド・ゴール政権下のフランスは独自の核抑止力を作り、アメリカ合衆国への過度の従属を避けるためにNATO軍事機構からの脱退を行うこととなった。このような独立的・大国主義的対応は、特に英国米国およびイスラエルの国際問題批評家から嘲笑の的となるとともに、時には怨嗟の声を浴びせられた。
これを「大国主義」、または「国家的威厳重視政策」と見る向きもある。すなわち、フランスは世界情勢において大国であろうとし、そのために軍事力と経済力を復興しようとした。この点に関して、ド・ゴール主義はド・ゴールの大統領就任から10年来フランスの外交政策に深く影響を与えてきたが、政権末期にはド・ゴール主義はもはや力を失いつつあった。
米英との摩擦が最大に達したのは、1966年に、ド・ゴールがフランス軍をNATOの統合軍事指揮権下から撤退させ(ただしNATO自体からは脱退しなかった。のち1992年には軍事部門への一部復帰、2009年には完全復帰)、NATO加盟国軍に対しこれらの軍がフランスの指揮下にない場合はフランスの土を踏ませないと決定したときである。この結果、NATO軍の総司令部はパリからベルギーブリュッセルへ、のキャンパスはパリからイタリアローマへと、それぞれ移転を余儀なくされた。
この決定は西側諸国間における米国の主導権への反発であったが、同時に米国からも大きな反発を受けることとなった。米国は当時すでにフランスに軍を駐留させており、東側諸国へ対抗するために、フランスの軍事政策と外国政策と米国の政策が一致することを期待していたからである。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ド・ゴール主義」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Gaullism 」があります。



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