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ドシンガ( 転写:''Dosingga''、都興阿、? - 1875年)、字は直夫は清朝の軍人、官僚。 満州正白旗人。ゴベイル氏(Gobeir hala、郭貝爾氏)。1853年、センゲリンチンに従って太平天国の北伐軍を破り、京口副都統の職を授かった。その後湖北省に救援に赴いて功績をあげて、バトゥルの称号を得た。1858年、太湖を回復し荊州将軍となったが、李続賓が三河の戦いで敗れたため宿松に退いた。1860年、アロー戦争でイギリス・フランス連合軍が北京に迫ると、救援を命ぜられ寿州に至った。和議が成立すると揚州への駐屯を命ぜられ、江北の軍務を統括した。1864年、西安将軍・陝甘総督代理に転出。1865年には盛京将軍に任命された。盛京将軍として馬賊退治に功績を上げた。1868年、張宗禹率いる西捻軍が北京に迫ると、欽差大臣として援軍に赴いた。盛京将軍在任中に死去。清愨の諡号を贈られた。 ==出典== * 『清史稿』巻417・列伝204 category:清朝の人物 category:満州民族 category:1875年没 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ドシンガ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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