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ドスト・モハンマド・ハーン : ウィキペディア日本語版
ドースト・ムハンマド・ハーン

ドースト・ムハンマド・ハーン1793年12月23日 - 1863年6月9日)は、アフガニスタン国王(在位1835年 - 1863年)。カーブルの統治者だったムハンマド・アズィームの弟。バラクザイ部族ドゥッラーニー家出身。
1826年、ハーンを宣言して国家を建て、1835年からは国王(アミール)となった。イギリスは、ロシアに対抗するためにアフガニスタン国内への軍の進駐を要求したが、ドースト・ムハンマドは、これに対してペシャーワルの回復という対価を要求した。アフガニスタンの強化を望まないイギリスは、旧王家サドザイのシュジャー・シャーと手を結ぶことを選び、1838年、アフガニスタンに対し宣戦を布告した。
アフガニスタンに侵攻したイギリス軍は、1839年8月、カーブルを占領し、シュジャー・シャーを国王とすることができた。ドースト・ムハンマドは、中央アジアのブハラに亡命し、その後、帰還して再び抵抗するもののイギリスに敗れ、1840年11月に投降して英領インドに連れ去られた。
しかし、第一次アフガン戦争と呼ばれるこの戦争では、各地で侵略軍に対する反乱が勃発し、大損害を出したイギリス軍は、戦争の継続を断念せざるを得なかった。
1843年、イギリスは、ドースト・ムハンマドを解放し、彼は再び王位に戻ることができた。
category:アフガニスタンの首長


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ドースト・ムハンマド・ハーン」の詳細全文を読む



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