翻訳と辞書
Words near each other
・ ドナタン
・ ドナティスト
・ ドナティスト論争
・ ドナティズム
・ ドナティ彗星
・ ドナティ彗星 (C/1858 L1)
・ ドナテッロ
・ ドナテッロ (競走馬)
・ ドナテッロ系
・ ドナテラ・ヴェルサーチ
ドナテルロ
・ ドナテロ
・ ドナテーロ
・ ドナト
・ ドナトゥス主義
・ ドナトゥス派
・ ドナト・ガマ・ダ・シウバ
・ ドナト・ブラマンテ
・ ドナトーニ
・ ドナドナ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ドナテルロ : ウィキペディア日本語版
ドナテッロ

ドナテッロ(、 1386年頃 - 1466年12月13日)は、ルネサンス初期イタリア人芸術家、彫刻家フィレンツェ共和国出身で、出生名はドナート・ディ・ニッコロ・ディ・ベット・バルディ ()。日本ではドナテルロと表記する場合もある。ドナテッロは立像や浅彫のレリーフを制作した彫刻家として有名だが、透視図法を使用した錯視的表現の発展にも寄与した、15世紀でも最重要な芸術家のひとりである。
== 若年期 ==

ドナテッロは、フィレンツェの毛織物ギルドの一員だったニッコロ・ディ・ベット・バルディの息子として、1386年ごろにフィレンツェで生まれた。幼少期のドナテッロはマッテリ家の邸宅内で教育を受けたと考えられている〔Giorgio Vasari: art and history By Patricia Lee Rubin. Retrieved October 20, 2009.〕。ドナテッロが最初に芸術家としての教育を受けたのは金細工師の工房だったのではないかとも言われているが、ルネサンス初期のフィレンツェを代表する彫刻家ロレンツォ・ギベルティの工房で一時的に働いていたのは間違いない。
ドナテッロはローマで1404年から1407年にかけて、フィリッポ・ブルネレスキとともに、習作の制作や彫刻制作助手などの職を得た。ローマでのこの二人の仕事ぶりは当時の美術品収集家たちに高く評価され、ドナテッロは金細工師として生計を立てるようになった。この時期のドナテッロとブルネレスキのローマ滞在中の経験が、後の15世紀イタリア芸術の方向性を決定づけることになる。ブルネレスキはローマでパンテオンなどの古代ローマ建築に感化を受け、その影響を自身の作品に反映させるようになった。後にブルネレスキの設計による建築物とドナテッロの手による彫刻作品は、当時の美術界においてきわめて高い精神性を表現したものとされ、同時代の芸術家たちに非常に大きな影響を及ぼすこととなった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ドナテッロ」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Donatello 」があります。



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.