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ドナルド・フランシス・トーヴィ : ウィキペディア日本語版
ドナルド・フランシス・トーヴィー

ドナルド・フランシス・トーヴィーSir Donald Francis Tovey, 1875年7月17日 - 1940年7月10日)は、音楽学者音楽理論家作曲家・音楽エッセイスト楽曲分析や、「ドイツ3大B」の作品に関する著作で有名である。トーヴィトヴィトーヴェイトヴェーなどの日本語表記もされている。
少年時代からピアノ作曲を学び、最終的にヒューバート・パリーに師事した。ヨーゼフ・ヨアヒムの親友となり、ヨアヒム四重奏団の1905年の演奏会では、ピアニストとしてブラームスの《ピアノ五重奏曲》の上演に参加した。作曲家としてはまずまずの評価を得て、ロンドンだけでなくベルリンウィーンでも演奏された。自作の《ピアノ協奏曲》は1903年ヘンリー・ウッドの、1906年にはハンス・リヒターの指揮で上演された。1913年には交響曲を作曲している。
この間トーヴィーは、ブリタニカ百科事典1911年度版の音楽記事の執筆に尽力し、18世紀から19世紀の音楽に関する大部分を書き上げた。1914年エディンバラ大学で教鞭を執るようになり、そこにリード管弦楽団を設立した。その演奏会のために一連の楽曲解説を執筆し、その多くは最終的に、こんにち最も知られている著書『''Essays in Musical Analysis'' 』に収録された。
後半生においてはさほど作曲も演奏も手懸けなくなる。他人の作品の校正をいくつか行い、1931年バッハの《フーガの技法》の未完の部分を補筆した。1935年には、パブロ・カザルスのためのチェロ協奏曲と、歌劇《ディオニュソスの結婚(''The Bride of Dionysus'')》を作曲した。1935年ナイトを受勲し、1940年エディンバラに没した。
作曲家としては保守的であり、カザルスが擁護したにもかかわらず、ブラームスの影響が非常に顕著で、あまり独創的であるとは言い難いが、堅固で綿密に書かれており、少なくとも室内楽曲は一聴に値する。ザンジバル王国の国歌を作曲した。




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ドナルド・フランシス・トーヴィー」の詳細全文を読む



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