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ドナルド・ヘンリー・ラムズフェルド(、1932年7月9日 - )は、アメリカ合衆国の政治家。大統領首席補佐官、国防長官、ランド研究所会長を歴任した。 第38代大統領ジェラルド・R・フォードのもとで第13代国防長官(1975年 - 1977年)を、第43代大統領ジョージ・W・ブッシュのもとで第21代国防長官(2001年 - 2006年)をそれぞれ務めた。アメリカ新世紀プロジェクトのメンバーでもあり、イラク戦争ではブッシュ政権内で終始強硬な攻撃論を主張した。 アメリカ合衆国の軍産複合体を体現した人物とも評される。また、7年あまりの下院議員生活の経験に基づいた、議員としての心得、いわゆる「ラムズフェルドのルール」は、現在でもワシントンD.C.の関係者の間では広く知れ渡っている。一方で、他者に対する配慮を欠いた発言スタイルで、数々の物議を醸す発言をして軋轢を生んだ。 1954年に妻のジョイスと結婚しており、夫妻には3人の子供(Valerie J. Rumsfeld Richard、Marcy K. Rumsfeld Walczak、Donald Nicholas Rumsfeld)および5人の孫がいる。 == 経歴 == イリノイ州シカゴのエバンストンに生まれる。祖父はフランドル系で、ブレーメンからの移民。奨学金を得てプリンストン大学に通い、卒業後の1954年より海軍でパイロット、飛行教官を務めた。また全米海軍レスリングチャンピオンの経歴もこの時に獲得している。 編入(1975年まで、1975年から1989年まで)後1957年からワシントンD.C.でアイゼンハワー政権下のオハイオ州選出下院議員の行政補佐官を務める。1960年から1962年まで投資銀行会社A.G.ベッカーで勤務した後1962年にイリノイ州より連邦下院議員(共和党)に30歳で当選し、1964年、1966年、1968年と、4期連続当選を果たした。 現在からでは想像もつかないことだが、若手議員だったころは下院において、共和党の中で比較的リベラルな投票行動で知られ、中道右派の有力な議員の一人であった。1964年の選挙での敗北に危機感を抱いたラムズフェルドら若手は、長老のチャールズ・ハレック下院院内総務に代わる院内総務としてジェラルド・フォード下院議員(後の大統領)を擁立し、成功した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ドナルド・ラムズフェルド」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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