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ドミティアヌス競技場()は、古代ローマ時代の陸上競技場である。ローマのカンプス・マルティウスの丘にあり、AD86年に第11代ローマ皇帝ドミティアヌスにより開設された。 カンプス・マルティウスにあった公共施設の最も北に位置しており、南隣にはが建てられていた。 == 歴史 == 競技場は79年に起こった火災で焼け落ちた施設の跡地に造られており、80年に建設が決定され、82年から86年に掛けて施工された。完成時には、ローマで初めての常設の(古代ギリシア起源の)陸上競技を行う競技場であった。 U字型のフィールドの長辺長さは200mから250m、階段状の観客席は最前列がフィールドからの高さ4.5m(15ローマン・フィート)〔The slightly higher estimate for seating numbers, and the lower estimate for arena length are in Richardson, L., ''A new topographical dictionary of ancient Rome'', The Johns Hopkins University Press, 1992. pp. 366 - 7, showing reconstructed ground plan: convenience link 〕最上段の高さは30m(100ft)、収容人員は15,000人〔Humphrey, John H., ''Roman Circuses: Arenas for Chariot Racing,'' University of California Press, 1986, p.3: link Humphrey gives a seating capacity estimate of 150,000 for the Circus Maximus.〕から20,000人ほどと推定されている。これは戦車競走を行うキルクス・マクシムスより小規模な大きさである。建物はローマン・コンクリートおよびレンガ造りで、表面に化粧用の大理石パネルが貼られていた。客席部の外観はフラウィウス円形闘技場(コロッセオ)のそれに似たものであった。 競技場は主に陸上競技に使われていたが、217年に起こったフラウィウス円形闘技場の火災後の数年間〔Cassius Dio, Roman History, (epitome), 78, 25.2: link This ruinous Collosseum fire was caused by lightning – one of many divine signs to anticipate the death of the emperor Macrinus.〕は、臨時で剣闘士競技が催されることもあった。帝国末期には施設の維持が叶わなくなり、観客席部分の建物は貧しい人の住居として用いられ、フィールドは集会場のような利用をされていたようである。さらに人口も激減し、競技場は廃墟となっていった。 現在、競技場のフィールド部分がナヴォーナ広場となっている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ドミティアヌス競技場」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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