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ドミトリイ・ビロゼロチェフ : ウィキペディア日本語版
ドミトリイ・ビロゼロチェフ

ドミトリー・ビロゼルチェフDmitri Bilozerchev1966年12月22日)は、旧ソビエト連邦の男子体操選手である。
==略歴==
1983年、ブダペスト世界体操選手権で16歳の若さで個人総合で優勝し、衝撃のデビューを飾った。しかし、翌年のロサンゼルスオリンピックでは個人総合をはじめメダルの量産が確実と言われながら、東欧諸国のボイコットにより出場辞退を余儀なくされた。 
1985年、モントリオール世界体操選手権の前には、自動車事故により瀕死の重傷を負い、再起不能とまで言われたが、1987年ロッテルダム世界体操選手権で団体総合、個人総合、あん馬、鉄棒の4種目に優勝し、見事に復活した。ソウルオリンピックでは、団体総合、あん馬、つり輪で金メダルを獲得するも、彼が悲願としていた個人総合では団体前半規定鉄棒の思わぬ失敗がもとで、銅メダルにとどまった。
2003年、世界体操殿堂入り。
現在は米国で体操コーチをしている。息子も体操選手である。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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