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ドモナラズは日本の競走馬。馬名は「どうにもならず」、丹後弁で「どうにもならない腕白者」の意〔【七夕賞】伏兵V!ドモナラズ「どうにかなった」 Sponichi Annex 2010年7月12日付記事〕。馬主は珍名馬を数多く所有することで知られる小田切有一。 == 戦績 == 2007年10月21日、京都競馬場第4レースの新馬戦(ダート1400メートル)に岩田康誠騎乗でデビューした。デビュー戦は2番人気ダンツヘイローに5馬身差をつけて逃げ切られ〔【新馬】(京都4R)?ダンツヘイロー 5馬身差でV - ラジオNIKKEI、2007年10月21日付記事。〕、ドモナラズは2着だった。その後もダートの短距離戦を使われていたが、2009年2月21日に初芝となった500万下平場戦を勝ち上がってからは芝の中距離レースへと主戦場を変えた。 1000万下条件を勝利するまでの下級条件時は全4勝を通過順位6番手以内の先行脚質で、2009年4月4日の明石特別(1000万下)勝利時に騎乗した北村友一が「いい具合で並ばれる形になったので、馬が頑張ってくた。2番手から上手なレースをしてくれた」〔【明石特別】(阪神)?ドモナラズが2番手から抜け出す - ラジオNIKKEI、2009年4月4日付記事より引用。〕、2010年2月14日の飛鳥ステークス(1600万下)勝利時に騎乗した池添謙一も「並んでしぶとい面を出す競馬をしたい」〔【飛鳥S】(京都)?伏兵ドモナラズ 追い比べ制す - ラジオNIKKEI、2010年2月14日付記事より引用。〕と言ったように、先行して粘る競馬を身上としていた。 オープンへ昇級後はなかなか結果がついて来ずに、「オープンのカベを感じている」(東田助手)〔『東京11R エプソムカップ』、中京スポーツ16面、2010年5月21日付記事。〕状態だったが、柴田善臣が騎乗した2010年7月11日の七夕賞(GIII)では、これまでの先行策から一転して後方につけ、4角最後方から大外に進路を取り、残り数十メートルの地点で差し切って重賞初勝利を飾った〔【七夕賞】ドモナラズ初重賞制覇! 柴田善J3週連続V! KEIBA LAB 2010年7月11日付記事〕。柴田は以前に騎乗した際に引っ掛かりながら意図しない場面で先頭に出てしまったことが印象に残っており、それを踏まえた上で後方からのレースを考えていたという〔【七夕賞】善臣絶好調!ドモナラズが快勝 - サンケイスポーツ、2010年7月11日付記事。〕。なお、アフリート産駒のJRA芝重賞制覇は2001年のCBC賞(GII)〔当時の格付け。2006年よりGIIIに格下げされて現在に至っている。〕でリキアイタイカンが勝利して以来、9年振りのことであった。 続く8月1日の小倉記念では、出走18頭中12-14番手を追走するも11着に敗れた〔第46回農林水産省賞典 小倉記念(GIII) Yahoo!スポーツ 2010年8月1日閲覧〕。前が詰まる場面もあったが直線では伸びきれず、調教師の音無秀孝は敗因を暑さでのバテに求めた〔【小倉記念】戦い終えて Sponichi Annex 2010年8月2日付記事〕。鞍上の柴田は当日が小倉競馬場での初騎乗となり、レース前には報道陣を前に「ドウモナラナイネ?」とおどけて見せていたが〔善臣26年目初の小倉、ドモナラズで七夕賞再現だ 、報知新聞、2010年7月30日付記事<より引用。〕、発言通りの結果となってしまった。サマー2000シリーズ優勝を狙い〔ドモナラズ5着以内でV狙う/新潟記念 日刊スポーツ 2010年8月24日付記事〕出走した8月29日の新潟記念では、最後方でレースを進めるも2戦続けて11着と大敗した。レース前の音無は「コンスタントに使っているが、体調は維持できている」と体調面に自信を見せていたが〔ドモナラズもスマートギアも新潟は歓迎/新潟記念 - netkeiba.com 2010年8月23日付記事〕、鞍上の柴田はレースを振り返り「夏負けかも。すぐ止まろうとする感じだった」とコメントした〔【新潟記念】戦い終えて - Sponichi Annex 2010年8月30日付記事〕。サマー2000シリーズも勝ち馬ナリタクリスタルに1ポイント及ばず、2位タイでシリーズを終えた〔サマーシリーズ2010 - JRA 2010年8月30日閲覧〕。暫くの休養後、12月11日の中日新聞杯へ出走。好位を追走するも直線伸びきれず7着に敗れた。続く12月26日の2010ファイナルステークスでは3番手追走も11着に敗れた。 明けて6歳緒戦の日経新春杯では後方でレースを進めるも11着、続く小倉大賞典でも12着と大敗。洛陽ステークスでは後方から鋭伸したが6着、中京記念では7着と惨敗。暫くの休養後、6月26日の夏至ステークスへ出走。中位を追走するも直線伸びきれず9着に敗れた。連覇をかけて挑んだ七夕賞では後方から追い上げてくるものの5着、続く7月31日の小倉記念では中団を追走するも12着、小倉日経オープンでは後方追走のまま7着、京成杯オータムハンデキャップでは10着、ポートアイランドステークスでは6着、富士ステークスでは16着、連闘で臨んだカシオペアステークスは13着、福島記念では中団を追走するも伸びず12着、中日新聞杯では後方追走のまま14着、2011ファイナルステークスでは13着に敗れた。 2012年1月4日付けでJRA競走馬登録を抹消、船橋競馬に移籍。船橋競馬移籍緒戦の隅田川オープンでは11着、連闘で臨んだ房の国オープンは4着。5月2日のかしわ記念では中団を追走するも直線伸びず11着に敗れた。大井記念は16着と殿負けに終わった。6月18日付で地方競馬登録を抹消された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ドモナラズ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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