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ドラクマ(ギリシア語: 単数形 、複数形 または 、)とは、古代ギリシアおよびヘレニズム世界で広く用いられた通貨の単位であり、同時に近代に入って復活し、ユーロが導入される前のギリシャで用いられていた通貨単位でもある。 略号はGRD。通貨記号は(ユニコードではU+20AF)で、しばしばとも表記される。 == 古代のドラクマ == ドラクマという名前は「つかむ」という意味の動詞「ドゥラットー ()」に由来している。これはもともとドラクマが手のひらいっぱいの量の金属塊にあたる6オボロイに相当したからである。オボロイは、紀元前11世紀以降使われていた通貨単位である。 紀元前5世紀以降、アテネでつくられた四ドラクマ硬貨は、アレクサンドロス3世(大王)以前のギリシア世界でもっとも広く用いられた硬貨であった。このコインでは、表にかぶとをかぶったアテナ女神の胸像が彫られており、裏にはアテナの使いフクロウの像が彫られていた。通常この硬貨は、フクロウを意味するグラウカイ () と呼ばれていた。この裏面は、ギリシアの1ユーロ硬貨の意匠にも用いられている。 アレキサンダー大王の東征の後、ドラクマ硬貨は大王の征服した中東諸国で広く流通するようになった。ディアドコイたちの諸国でもこれは引き継がれ、プトレマイオス朝エジプトでも用いられていた。イスラム教以前の中東諸国で用いられていた通貨単位であったディルハム () もドラクマの名に由来するものであることがわかっている。ディルハムはモロッコとアラブ首長国連邦ではいまだに用いられている。アルメニアのドラムという通貨単位もまたドラクマに由来するものである。 ドラクマは、紀元前3世紀以降ローマ領の地域でも流通した。ドラクマは長期にわたって広大な地域に流通したため、現代の貨幣価値への換算は難しいが、紀元前5世紀の1ドラクマは、1990年の25ドルに相当するという研究がある。研究者たちは、ローマ帝国の初期には1ドラクマは労働者の一日の賃金であったという。 ドラクマ銀貨が、ローマ帝国の領域内で広く用いられたことは、新約聖書にドラクマの名が現れることからもわかる。たとえば『ルカによる福音書』15:8がドラクマ銀貨に言及している。また『マタイによる福音書』17:27で、イエス・キリストの一行が、神殿税として魚から取り出すのもドラクマ銀貨であると考えられる。 ドラクマ硬貨は、重さの単位としても使用されていた。1ドラクマは、およそ4.3グラムに相当する。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ドラクマ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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