|
『ドラゴンクエストV 天空の花嫁』(ドラゴンクエストファイブ てんくうのはなよめ)は、1992年(平成4年)9月27日にエニックス(現: スクウェア・エニックス)より発売されたスーパーファミコン用ロールプレイングゲーム。 リメイク版として2004年にPlayStation 2(以下PS2)版が、2008年にニンテンドーDS(以下DS)版が、スマートフォン(iOS、Android)版が2014年12月12日に発売されている(PS2版およびDS版はのちに廉価版「アルティメットヒッツ」として発売された)。 当時のエニックスがSNES(日本国外版スーパーファミコン)に参入しなかったこともあって、長らく日本国外では発売されなかったが、2009年、DS版が北米で "'" として、欧州では『V』を除いた "'" として発売された。 以降、特記が無い限り、オリジナルであるスーパーファミコン版について述べる。" として、欧州では『V』を除いた "'" として発売された。 以降、特記が無い限り、オリジナルであるスーパーファミコン版について述べる。''" として、欧州では『V』を除いた "'" として発売された。 以降、特記が無い限り、オリジナルであるスーパーファミコン版について述べる。" として発売された。 以降、特記が無い限り、オリジナルであるスーパーファミコン版について述べる。''" として発売された。 以降、特記が無い限り、オリジナルであるスーパーファミコン版について述べる。 == 概要 == ドラゴンクエストシリーズ第5作。前4作はファミリーコンピュータで発売されてきたが、本作は後継機スーパーファミコンで発売された初のドラゴンクエスト作品である。キャッチコピーは「愛がある、冒険がある、人生がある」。PS2版は「強き心は時を越えて」。DS版は「冒険という、もう一つの人生」。 当初、1991年中の発売を予定し、エニックスが同時期に発刊していた『月刊少年ガンガン』とのコラボ企画(『V』の読者プレゼント企画)が行われたが、製作中にメインプログラマが独立(クライマックス)し開発が難航。1992年3月、1992年5月31日、1992年8月と変更を繰り返し、最終的に1992年9月27日に発売された。この影響で『ガンガン』とのコラボ企画が大幅に縮小された(当初、毎月100名だったが、途中から何の説明もなく毎月50名に変更)。具体的な発売日決定後の発売日変更は極めてまれである。 親子3代に渡るストーリーや、物語中盤に結婚という人生の重大なイベントがあることが特徴であり、モンスターを仲間にするシステムが導入された。シナリオ・ゲームデザインの堀井雄二は、「本作の本質は感動であり、一番の感動はもう一つの人生を体験することだ」と語っている。DS版のCMでは「人生を体験できるゲーム」と紹介された。 対応機種がスーパーファミコンとなり画質、音質が向上した。また、前作までよりもストーリー重視の作風となり、重要キャラクターの会話が自動進行するイベントシーンが増加した。また、クリア後の冒険の書(セーブファイル)で行ける「隠しダンジョン」が初登場し、最深部に隠しボスが存在する。 本作は「天空シリーズ」の2作目として位置づけられ、また、従来シリーズに共通の設定「主人公=勇者」を覆した。「魔王を倒すという使命」がゲーム開始時から主人公にはなく、最後は魔王と戦うが、直前までの目的は主人公の母親の捜索であり、「勇者対魔王」の図式は副次的な物である。魔王の存在が明かされるのは終盤からである〔SFC版の場合。リメイク版では魔王の名前のみ序盤から登場する。〕。 発売後、ゲームブック化や小説化、ドラマCD化が行われた(それぞれゲームブックドラゴンクエスト、小説ドラゴンクエスト、CDシアター ドラゴンクエスト参照)。また、本作の世界を舞台とした派生漫画作品『ドラゴンクエスト 天空物語』(幸宮チノ)が連載された。『X』のイベントクエストでは、本作の後日談〔かつてベビーパンサーを連れた子供が妖精の国を訪れたことがあるほか、ベラなどが成長している。〕としてプレイヤーがベラに「妖精の国」へ案内される。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ドラゴンクエストV 天空の花嫁」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Dragon Quest V: Hand of the Heavenly Bride 」があります。 スポンサード リンク
|